にもおっかない[#「おっかない」に傍点]顔に変って、
「オイ少し積ってもみてごらん。こんな私がクサクサしてる了見の日にお前の噺の稽古なんかできるものかできないものか。駄目駄目駄目きょうは駄目だよ。きょうはお前、私ァ退屈で困ってるんだもの」
「……」
また次の日とその次の日と座敷がつづいてフイ。もう数え日の二十七日の晩――。
「おい、やって上げますよ。小圓太、今夜は。さあ早く膳を片づけてそこへお坐り。一日延ばしに延ばして勘弁しておくんなさいよ」
何とおもったか晩酌を一本きりでやめた師匠が、いつにない上々の機嫌でいいだした。
「ありがとうございます、何分どうか」
何度目の正直だろう、でもうそ[#「うそ」に傍点]もかくし[#「かくし」に傍点]もないところ、その都度、手の舞い、足の踏みどころをしらないといってよかった小圓太だった。いそいそ立ち上がって大急ぎでその辺を片づけると、
「では師匠お願いいたします」
お辞儀をしてチョコナンと師匠の前へ坐った。
「ウム」
大きく肯いて師匠も居ずまいを直した。いよいよ稽古が始まろうとしたときだった、玄関のほうで人の訪《おとな》う声がした。
「あの杉大門の御主人がお見えになりましたが――」
次の間へ手をつかえておしのが取り次いできた。
「エ、杉大門が。そりゃ珍しい。オイすぐこっちへお通し申せ。そうして小圓太、お前はな、早くお神さんやおしのを手伝って酒の仕度を」
いうかとおもうと、早くも上がってきた頬に刀傷のある目の険しい五十|彼是《かれこれ》の渡世人上がりの四谷杉大門の寄席の主へ、
「よウよウ珍しい珍しい兄貴、相手ほしやでいま困ってたとこなんだ、さ、今夜ゆっくり遊んでってくれ、夜明かしで飲み明かそう」
たちまち外面《そとづら》のいい圓生は相好を崩してこう迎えるのだった。
いざこざ[#「いざこざ」に傍点]なしにすぐお酒がはじまってしまった。やったりとったり[#「やったりとったり」に傍点]――杉大門もなかなかの飲み手で尽くるところをしらなかった。さっさ[#「さっさ」に傍点]とお神さんはねてしまった、九つ近くになって、やっと席亭はかえっていった。
「すまなかったね昨夜、あんな剽軽《ひょうきん》者が飛び込んできてしまって、さ、今夜はやって上げますよ」
とても駄目だとあきらめていたのに、思いがけなく晩酌のとき、またこういいだされた嬉しさ。
「エ、今夜やって頂け……」
目のいろ変えて小圓太はお辞儀をした。
「やって上げますよ。いつ迄噺ひとつ稽古しないで遊ばせといたって仕様がありません。正直お前さんだって早く席へでたくってウズウズしていなさるんだろう。ウムウム分って、分ってますよ、サ、この稽古ひとつ丸ごかしにすましたらちゃんと席へでられるようにして上げましょうね」
今夜も上機嫌の師匠だった。ふた晩つづいてこんな御機嫌なんてほんとに珍しいことだった。ほんとうに小圓太は嬉しかった。
すぐ晩酌がすみ、御飯がすみ、手早く膳を片づけて、昨夜のようにピタリ向こう前に坐ったとき、また玄関のほうから声高に案内を乞う声が聞こえてきた。
「お、おい三遊亭。ご、御馳走になりっ放しじゃこん[#「こん」に傍点]心持が悪いから、こ、今夜は、お、俺が、一升提げて、きたぜ」
もう下地があるらしくいいいろ[#「いろ」に傍点]に顔を染めた昨夜の杉大門が一升徳利ぶら下げて、なんと案内も乞わずにフラフラと入ってきた。
「よッ待ってました親玉。よき敵|御参《ごさん》なれとおいでなすったね」
またしてもおよそ調子のいい師匠はこう笑顔で迎えた。すぐまた酒盛がはじまってしまった。酔えば酒飲みの常、いつ迄もいつ迄もお互いにひとつことを繰り返しては根気よくさしつさされつ――トド杉大門はへべのれけになって小間物店まで吐きだした。命じられて小圓太がその後始末をさせられ、その上、駕籠を呼びにやられた。その駕籠がまたなかなかやってこないときた。ピューピュー筑波ならしの吹く寂しい四谷の大通りに佇《た》っていて、小圓太はつくづく杉大門の主を怨みにおもった。何かこの人、前世で俺に怨みがあったのかしら、それともうちの先祖があの人の先祖を絞め殺したことでもあるのかしら。人の恋路の邪魔する奴は馬に蹴られて死ねばいいという都々逸があるけれど、俺の世の中へでるのを邪魔する杉大門も土竜《もぐら》にでも蹴られて死んじまえばいい。それにつけても今夜はちょいとこれ[#「これ」に傍点]の稽古をすませますから、ほんの少しそこで待ってて下さいとひと言そういってくれないですぐニコニコ大愛嬌でお客様を迎えてしまううちの師匠の上も、いささか怨めしくおもわないわけにはゆかなかった。
……ブツクサ呟いていることしばし、やっとのことで駕籠がきた。いっしょに家まできてもらって、て
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