「だからさ、ねえ、だから話はおしまいまで聞いて貰わなけりゃ。いいえ、くどくもいうとおりこの子は決してうち[#「うち」に傍点]のお宝を泥棒をしたんでも何でもない、ただ寄るとたかるとお店のお銭を、お給金《わり》かい、つまりそのお給金《わり》の形にこしらえちまっちゃ喜んでるんだ。金箱を開けてみるとあるったけのお銭がみんな紙に包んでお給金《わり》になってる。それじゃお前さん、お客様がお見えになってイザ御両替っていうとき、いちいち紙を破いたり何かと手がかかってしまって仕方がない。何べん叱っても叱ってもまたやってしまうんだ。だからそんなお前さん、手のかかる子供を私のところじゃ、とてもお預りしてはとこう……」
「……」
 話の途中からだんだん柔和な顔付きを取り戻していっていた圓太郎が、やがてはそもそも嬉し可笑しそうにゲラゲラゲラゲラ笑いだすと、
「エ、そ、そいじゃ……こ、こいつがお店のお銭をしょっちゅうお給金《わり》にこしらえちゃ、ただ楽しんでいるってこういうわけなんで。じゃ、つまり盗《と》るんでもない、ただこうこしれえちゃ楽しんでるだけ……こいつァ、こいつァ……」
 大きなお腹を両手で押さえるようにして、
「フッハッハッハ、こいつァいいや」
「いやだな。この人は。お前さんがそうそこで喜んでしまっちゃ」
 困ったように番頭はいったが、
「だって……だって、いい話ですよこいつァ、番頭さん。さすがに……さすがに次郎公はあっしの忰だ。ウム、いい、じつにいい話だ」
「ちっともいい話じゃありゃしない」
 いよいよ番頭困ってしまって、
「見ておくんなさい、何しろその悪戯《いたずら》を」
 再び金箱を傾けるようにして突き付けると、未だ満面に笑《えみ》をたたえながら圓太郎、器用にこしらえられている給金《わり》の包みを手に取って、ひとつひとつ感心したように眺めていたが、やがてズーッと自分の前の畳の上へ並べてみて尚もしきりに眺め廻しているうち、にわかに何か不審でならないもののようにキョトンとした目をパチパチしだした、とおもううち大発見でもしたかのようにやがてその目はサッと喜びにかがやきだした、ばかりかしばらく大きな掌の上へのせて重みを計っていた「圓太郎御師様」と書いた分と「小圓太様」と書いた分とを世にも恭しく押し頂いて、
「偉い!」
 吃驚するような大きな声でこういうと、
「ウーム、うそ[#「うそ」に傍点]にもせよ俺の分と手前の分だけ他の人よりいい給金《わり》をこしらえやがるなんて、ああ人間はこういきてえ。偉え、次郎公偉え偉え、たしかに偉えぞ、オーイ番頭《ばんつ》さん」
 しゃくるようにすぐ目の前の黒い長い顔を見上げて、
「ねえ、もし、うちの次郎公は不都合どころか、日本一の親孝行者ですぜ」
 ……そうもの[#「もの」に傍点]が分らなくなっちゃ始末がわるい。とうとう今度は番頭がキュッと両手でお腹をかかえて、転げるようにいつ迄もいつ迄も笑いだした。同時に最前から我慢していた中番頭も手代も小僧たちも、果ては次郎吉までがいっしょになってゲラゲラゲラゲラ笑いだした。
 早いお花見の目鬘《めかずら》を売る爺さんが一人、不思議そうに店の中を覗き込みながら通り過ぎていった。

 今度こそ圓太郎は次郎吉を元の小圓太にさせてやりたくてならなかったが、やっぱり手厳しく女房に反対された。玄正の反対もまた絶対だった。
 拠所《よんどころ》なく西黒門町の青物屋八百春へ奉公にだしてやった。
 二日……三日……四日。
 何事もなかった。
 五日目の夕方になると、だしぬけに寝た間も忘れない寄席の一番太鼓がドロドロドロンとすぐ八百春の後のほうで鳴りはじめた。つづいて大太鼓小太鼓入りみだれて賑やかに二番太鼓が囃《はや》されてきた。
「親方あれは」
 慈姑《くわい》の泥を洗っていた手をやめて次郎吉は訊ねた。
「ウム。裏の牡丹亭って貸席だ。ときどき三日か五日、チャチな寄席に早替りする。今夜は何か素人の落語家がかかるらしい」
 神棚へお燈明を上げていた親方が後向きのまんま、いった。そういううちも、四《し》丁目の三味線太鼓|早間《はやま》に賑々しく地囃子が、水銀《みずがね》いろをした暮春の夕闇をかき乱すように聞こえてくる。
「……」
 呼吸を奪われてしまいそうな物恋しさだった。物悲しさだった、甘い寄りどころない遣瀬《やるせ》なさでもまたあった。烈しくそれは次郎吉の五体を揺ってきた。否、五体の隅々果て果てまでを、切なく悩ましく揺り動かしてきた。極度のやる方なさに苛《さいな》まれながら、しかも一面そこには不思議と恍惚たる快感が伴われていた。泣きじゃくりながら、シッカリ抱擁し合っている恋びと同士――それにも似ているかもしれなかった、あたかもこのいまの心持は。
 絶えて久しい心のふるさと寄席への郷愁――全身全魂
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