どないといってもいいだろう。
 早い話が、この自分だ。
 この自分の出家志願だ。
 随分、風変りにも程があるが、無理矢理出家してしまったればこそ、いまだ若僧の身分ではあるが、法の道の深さありがたさは身にしみじみと滲みわたり今やようやく前途一縷の光明をさえみいだすことができそうになっているではないか。
 では、汝、玄正よ、この弟にもここは一番|清水《きよみず》の舞台から飛び下りたつもりで、おつけ[#「おつけ」に傍点]晴れて好き好む芸人修業、落語家修業をさせてやろうか。
 ……そこまで考え詰めてみては、さて落語家――寄席芸人という奇天烈《きてれつ》な門構えの前までやってくると、妙に玄正の心はグッタリと萎えてしまい、思い切ってその門叩き、中へ入れてやるだけの了見にはならなくなってしまうのだった。
 しかし、しかし、何べんも最前から繰り返すように、全く人間は好きな道以外、出世の蔓は求められないものとすれば……。
 そうしてそれが唯一絶対の真理だとすれば。
 ああ、この自分は今の今、一体どうしたらばよいというのだ。
 幾度か幾度かこうして玄正の心は、ゆきつくところまでゆきついては後戻りし、後戻りしてはまたゆきつき、じれったいほどどうどうめぐりばかりしては自分で自分の心持を持て余しているのだった。
「……フーム……フーム……」
 難解な考案の前に相対した禅僧のごとく玄正は、またしても微かな呻り声を二度三度と洩らしていた。
「……」
 さあもうどうにでも勝手に料理しておくんなさいと心で大手をひろげて次郎吉は、いつの間にか枕へ顔を押付けたまんま薄目をひらきときどきチラリチラリとその義兄の当惑顔を盗み見していた、少し惨忍な快感にさえ駆られながら。

 かくて――。
 芸以外に好きなものはない、およそ芸のほか一切のものには何らの興味も情熱も生命すらも感じられない。不憫にもこう深く深く信じて止まない次郎吉のため、ついに玄正は初一念をひるがえした。そうして快く「芸」の大野原へと放《はな》ちやった。
 といっても、それは落語家の世界では決してなかった。
 あくる年の春早々、次郎吉の病癒ゆるを待って当時豪放豪快な画風を以て江戸八百八町に名を諷われていた浮世絵師|一勇齋国芳《いちゆうさいくによし》――その国芳の玄冶店《げんやだな》の住居へと、内弟子に預けたのだった。玄正としては本来ならば狩野某の
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