吉は寝込んでしまった。
 枕も上がらない大病。幾日経ってもよくなっていく気配がなかった。ばかりか、だんだん悪くなっていった。
 気荒のガチャ鉄も病人に打ち込む手鉤はなかった。ばかりかたいへん心配してある日、釣台で次郎吉を湯島までかえしてよこした。

「どうしてそうお前は駄目なのじゃ、今度は辛抱してくれるかとおもえばまたこのように……。古えより一人出家をすれば九族天に生ずるというが、その九族に憂いのみ抱かすればのう、少しはお前後生のほども恐しいとは……」
 翌日の午下り、話を聞いて駈けつけてきた玄正は、薄汚れた鼠いろの衣の袖をかき合わせながら秋晴れの天神様の女坂のクッキリと見える明るい裏二階に寝かされている次郎吉の枕許にピタリと坐って太い眉をしかめた。ギロッとした目が愁いを含めて、よほどの高熱なのだろう杏いろに上気している次郎吉の双の頬を、心許なげにみつめていた。天神さまの神楽囃子がのどかにのどかに聞こえてきている。
「……」
 ややしばらく仰向けにジーッと目を閉じたまま義兄の言葉に聞き入っていた次郎吉は、やがてクリッとした両眼を見ひらくと、
「つまらないんでさ。その日その日が私ァつまらなくてつまらなくて仕方がないんでさ。だからこんな病気になんかなっちまうんでさあ」
 悲しく不貞腐れてといおうにはあまりにもキッパリと、
「エエいまだから皆正直にいっちまいますよ、ねえ兄《あに》さん。ほんとにこればかりはいくら兄さんになぐられても叩かれてもどうにもならないことなんだけれど、この私という人間は好きなことのほか一切何もかもしたくないんでさ。またいくらやったって無駄だとおもうんだ。ねえ、ねえ、あなたもそうおもいませんかね、ほんとに」
 いいながらもさらにまた一段とその決意を深めていくような様子だった。
「……ウーム……」
 あまりにもほんとうの心の底を隠すところなく告げられて、さすがに玄正は一瞬、言句に詰まってしまった。
「……ウーム……」
 もういっぺんまた唸って、
「ではお前……」
 いつになくナンドリと相談するように、
「何になら、なってみたいのだ」
 玄正は訊ねた。
「芸人でさあ、だから」
 待ち兼ねたように次郎吉はいった、何を分り切ったことをといわないばかりに。
「そ、それはいかん」
 あわてて玄正、
「そ、そのほかで……そのほかで何か」
「……ありませんよ」
 低く
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