とされた池ばかりだった。なつかしそうに圓朝は、はるかの池のおもてへ目をやった。真っ青な萍《うきくさ》が一杯伸びて、音立ててその上を吹き渡っていく真昼の風があった。その池のへりにポカンと圓太郎が佇んでいた。ありし日の自分の姿をそこにみいだして圓朝は、何ともいえない感傷にさそわれていくことが仕方がなかった。
「……」
 気配に、師匠が目を開けた。昔ギロリと睨まれたあの目とは打って変った寂しい空ろのものだった。
「ア、師匠」
 思わず圓朝は声を掛けた。
「……」
 しばし目を疑っているもののようだった。光りなき目がしきりに圓朝の上を、とつおいつしていた。
「ア……ア、圓……朝……」
 とぎれとぎれにこれだけいった、ろれつ[#「ろれつ」に傍点]の乱れた微かな声で。世にも懐しそうにガクガクンと顎が動いた。
「……」
 それだけでもう圓朝は胸がいっぱいになってしまった。許して、許してくれている師匠が、ポロポロ涙がこぼれてきてならなかった。
「師匠、ねえ師匠、圓朝です、お見舞に……お見舞に伺いました……どうか……どうか昔の私の至らないことは……」
 耳許へ口押しあててこういった。そういううちも、果てしなく涙はこぼれてきていた。
「……」
 そのたんび師匠は顎を動かした、分って、ああ分っているよ、いるともさというごとく。それがまた圓朝のことにして、どんなにうれしかったことだろう。
「あの……あの……お前」
 そのときだったあの[#「あの」に傍点]があお[#「あお」に傍点]と聞こえる発音で、やがて師匠は喘ぎながらこういった。
「あの……あの……圓、朝や、むか、昔のことは何も……かも……」
 またたよりなく二、三度顎を動かして、
「ゆ、許してくれ……」
「モ、もったいない、な、何をおっしゃ……」
 弾けて飛び上がらんばかりに、ヒシと師匠の身体へむしゃぶり付いてゆくと、
「師匠から……師匠から……そんな私お言葉いただいてしまっては……」
 ギュッとギューッと力いっぱい抱きしめながら、
「とんでもない、私の……私のほうこそ……小さいときからいろいろ手塩にかけて頂いていて」
 もう恥も外聞もなくおろおろおろおろ[#「おろおろおろおろ」に傍点]泣きだしてしまっていた圓朝だった、なるほどいつか文楽師匠のいってくれた通りの師匠と弟子との人生ではあることよなとおもいながら、そうおもってまたひとしお烈
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