るよ、俺にゃお前の心持が。やんねえ遠慮なくやんねえ、誰になんの気兼もなく。飽きる迄、やってやってやり通すことだ」
 さらにまたさらにこうも元気をつけてくれた。
 二十六、二十七、二十八歳といよいよ強っ気に圓朝は、心ひとすじ馬車馬のように、思いの路を駆り立てていくことができた。
 いよいよ自分という雪達磨が転がせばころがすほどに大きく大きくなりまさっていった。
 山なす毀誉褒貶《きよほうへん》も何のその、かくて両国|垢離場《こりば》の昼席とて第一流人以外は出演できなかった寄席の昼興行の、それも真打《とり》を勤めることと、圓朝はなったのだった。しかも毎日五百人以上、嘘のような大入りがそこにつづいた。またしても弟子入りを望む者、あとからあとから絶えなかった。あまりのことの嬉しさに何べんも何べんも初代圓生のお寺へいった。そしては墓前に報告をした、おかげで三遊派もこんなに盛り返してまいりました、と。もちろん、昔あれほど気に病んでいたお線香代のほかのお心付けも、もうこのごろでは師匠こんなに頂いてはと寺男が痛み入るほど莫大にやることができるようになっていた。
 まず何もかもこれで――。
 心の底のまた底まで圓朝は、微笑ましいものを感じないわけにはゆかなかった。
 あとは倦《たゆ》まぬ勉強だけだ。
 もっともっと道具噺に、千変万化の工夫を凝らそう、道具や仕掛にいくらかかっても構わないから。いよいよお客様をアッといわせよう。
 固く心にこう誓った。
 そのころ、圓朝贔屓のおんなたちもめっきり周囲に増えてきていた。手紙をよこすもあり、楽屋へ訪ねてくるもあり、中には代地の家まで押し掛けてくるものもあった。
 中で圓朝の心に通うおんながただ一人だけあった。両国垢離場の昼席からは橋ひとつ隔てた柳橋の小糸という妓《おんな》だった。垢離場四年間(それほど連続的にその第一流の寄席は圓朝一人を出演せしめたのだった)の長期出演が、いつしか二人の仲に花咲かせ、実を結ばせるゆくたては[#「ゆくたては」に傍点]となったのだった。
 小糸。
 クッキリした濃い目鼻立ちのくせに陰影《かげ》が深く、顔も姿も寂しさひといろに塗り潰されていた。いつも伏目の、控え勝ちの、ジッと寄辺なく物思いに沈んでいるような風情――一にも二にも圓朝はそこに心を魅かれた。
 むらがる仇花の中へほのぼのと姿を見せている夕顔の花ひとつ。
 
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