手振り身振り鮮やかに、運びおもしろく、鮮やかに「芸」としても尾鰭というものがついてきていた。
二十三、二十四、二十五歳と真打席のない月はほとんどなかった。
弟子たちも目に見えて増えてきて、もう十人ちかい屈強の男たちが絶えず代地の家に寝泊りしていた。いくら物価《ものなり》の安かったそのころでも、働き盛りの若い者をこうたくさん置いていてはたまらない。かてて加えて人気の昇るに従ってつきあいは日一日と派手にしなければならない。反対にお台所のほうは日一日と苦しくなってゆくことが仕方なかった。四方八方、借金だらけ。それをひとつ返してはまた二つ借りるという風に、苦肉の策をめぐらしつづけていった。
「苦しいだろうお前借りにきなよ」
いつもこういいだしては快くお金を貸してくれたのは文楽師匠だった。
「いいよいいよ返さなくても、それよりときどき俺が座敷を頼んでそのお銭《あし》で引いていくから、そのほうが返しいいだろうお前だって」
さらにこんな分ったことさえもいって、絶えずなにがしかを融通してくれた。どんなにどんなに助かったことだろう、それが。かつて師匠圓生のいる四谷のほうへ足向けては寝ないと誓った圓朝は、文楽師匠住む中橋のほうへもまた足を向けては寝られないこととなってしまった。
そうした苦しい真っ最中に、老衰で父の圓太郎が、枯木の倒れるようになくなった。つづいて兄の玄正がなくなった。これは僧位進んで小石川極楽水の是照院へ転住した。永年の思いがかなってひと安心したことが発病させたらしく、患いついてすぐ代地の家へ引き取ると、充分の手当をしたのだけれど圓朝二十四歳の秋、とうとう命数尽きて帰天してしまった。晩年にはもう心から圓朝の出世を喜んでいただけ、どんなにか悲しまないではいられなかった。
父のといい、兄のといい、いまの身分以上の弔いをだしたので、いよいよお勝手元は苦しくなった。
年の瀬がきた。
去年の倍も弟子たちの増えていることはうれしかったが、それだけにこの暮れの餅代もまた倍。弟子は倍でも収入はまだ倍までにはかなっていず、ほんの少うし増えているばかりだった。すっかりその弟子たちに心づけをしてしまったあと、自分の家の春の仕度万端をすますと、大晦日にはお恥しいが圓朝、印袢纏一枚「何もかもあるだけ質に置炬燵、かかろうひまのふとんだになし」落語の「狂歌家主」をそっくり地でいく境涯
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