いる、が、しかしだね、自分より弟子のほうが売れるのまでは望んでいねえって。味わってみねえ。ねえおい、いかにも人間らしい弱味のある趣の深い言葉じゃねえか。俺なんかいい塩梅にいまでも昔師匠の売れたほどは売れていねえし、また多少なりとも売れてきたのは師匠の死んだあとだったから憎まれねえでもすんだけれど……」
もういっぺん笑って、
「つまりこの師匠の心持、つまり凡夫の心持って奴を、よくよウく圓朝さん、いま考えてみる必要がありゃしねえか、そうしたら……そうしたらお前何にも……」
「分り……分りました」
満面をかがやかして圓朝は、勢いよく取り上げたお銚子にありったけ[#「ありったけ」に傍点]の感謝を含めて文楽のほうへ。
サバサバと、すがすがと、ほんとうに気が晴れ晴れと大きくなってきた。またひとつ、いや二つ三つ、ことによるともっともっと余計いっぺんに年を取って悧巧になれた感じだった。
「だから、だからよ、お前」
満足そうに酌いだお酒を口へ運んで[#「運んで」は底本では「連んで」]、
「いまの喧嘩は仕方がねえ、それ川柳点にもあったじゃねえか、死水《しにみず》をとるは兼平《かねひら》一人なりって、小勝さんじゃねえが一番おしまいの土壇場へいって真心で師匠に尽しゃそれでいいんだ。早桶ン中へ入って人間の偉い偉くねえは分るっていうけれど、弟子と師匠の間柄もトコトンのまたトコトンまでいってみて初めていい弟子悪い弟子が定められるんだ。それ迄ゃ何もお前……」
「……ハイ、ハイ、ありがとうごさんす、おかげですっかり……すっかり分りまして……」
並べられているぶつ切りの鮪の皿の中へ顔を突っ込んでしまいそうに圓朝は、丁寧な丁寧なお辞儀をした、そうしていつ迄も上げなかった、きょうはぜひともかえりに初代の、大師匠のお墓へ廻ってこの一切を報告しようとうれしくおもいながら。とたんに、この薄暗いガランとした小大橋《こたいきょう》の土間の隅々までが、いまにわかに圓朝にはいちどきに何百本もの百目蝋燭を点し立てたかのよう、絢やかなありったけに見えだしてきてならなかった。
……めっきり了見が大きく持てだしてきたのだろう。それから間もなく圓朝は、聞き込んだ二、三の材料を手がかりに今日も名高いあの「怪談牡丹燈籠」を書き上げた。
牛込のほうのある旗本が、昔無礼討にしたものの忰をしらずに下僕に雇い、のちにワザとその
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