ず池の端の住居からこの森下までお詣りにやってくる自分だったけれど、門番の爺やへ余分の心付けのやれないことだけが、そのたんびの苦しさだった。悲しさだった。
「ああちょうどまる[#「まる」に傍点]一年自分は森下のあのお寺からこの天王橋の通りまで、いつでもそのたんびかっぱらい[#「かっぱらい」に傍点]でもした小僧のように逃げ出してきたことになる」
 二年、三年、五年、十年――いや自分のいのちのあらん限り、照ろうと降ろうと、雪だろうと嵐だろうと、それこそ天から槍が降ろうと、初代さまお墓詣りに伺うことに何の苦労もあるわけとてなかったけれど、一日も早くたとい二文が三文でもあの門番へ余分の心づけがしてやれる身分にはなりたい。
 偽らざるこれが圓朝の本音だった。
「まず御先祖さま、お心づけのやれる私にだけ、大急ぎでさせて下さい」
 ギーイと音立てて開いた番傘を真っすぐにさし、天王橋を後に、御廐橋のほうへ歩きだしながら圓朝はさらに口の中でこう頼んだ。この道、大廻りは百も承知、金龍寺をでてつづく寺町を北へ、佐竹のほうへ抜けるとするとどこもかしこもお寺ばかりで、いつ迄もいつ迄もそこら中のお寺の門番から心づけをやらないことを叱られているような情ない気がされてならないからだった。
 ほんとうにボロ長屋でも一軒構え、阿母と二人やっと細々その日を過している圓朝にとっては、悲しやお線香とお花代とが精一杯の散財、その上の心づけなんて、とてもとても及ばぬ鯉の滝昇りなのだった。
「ほんとに……ほんとに……早く、早く俺真打になりてえなあ、三遊派のために」
 また独り言《ご》ちながら御廐橋の四つ角を左に、新堀渡って、むなしく見世物小屋の雨に煙っている佐竹ッ原を横目に、トコトコと圓朝は歩いた。それでも降りつづく雨で幾日も幾日も小屋を干して休んでいる佐竹ッ原の芸人たちの上をおもうと、まだしもいまの侘びしい自分の境遇のほうが増しかとおもわれたりした。
 だんだん雨が強くなりだしてきた。風をまじえて。
「いけない」
 幾度か傘をお猪口にされそうになりながら圓朝は、足を早めた。この傘壊してしまったら、今夜から席へさしていく傘がなくなる。
 必死に、汗みずくに闘いながら、やっと広小路から三橋を池の端へ。どこからか早い夕餉《ゆうげ》の油揚焼く匂いの流れてくる七軒町の裏長屋までかえってきた。
 連日の雨で不忍の池の水量がよ
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