ときのような我流だったらこんな深い深い世界のあることなんて分っていなかったろう。
つくづくそうおもわないわけにはゆかなかった。ほんとうにそれは八幡の藪知らずのような、目もあや[#「あや」に傍点]にややっこしい「芸」の怪鳥《けちょう》なく深山幽谷であり、九十九折《つづらおり》だった。
大ていの奴だったら途中で草臥《くたび》れて引き返しちまうだろう。だからなかなか本筋の、叩き鍛えた芸人ってできないわけなのだ。
そういうことも今更しみじみと考えられた。
考えれば考えるほど無性に師匠の上がありがたくなってきた。「師恩」という言葉がほんとうにいや深い意味もて考えられてきた。
俺、四谷のほうを向いちゃ……。
決して足を向けては寝ないことにした。
ばかりか楽屋で師匠のことを少しでも悪くいう者があると、むきになってくってかかった。
「お前ンとこの師匠は人前でばかり調子がいいから、だからいや[#「いや」に傍点]さ」
ある晩、連雀《れんじゃく》町の白梅の楽屋で浅草亭馬道がこういったときも、泣いて小圓太はつっかかって[#「つっかかって」に傍点]いって、
「分った分った俺が悪かった。お前の師匠孝行にゃ負けたよ、圓生さんはとんだいい弟子を持ちなすって幸だ」
とうとう馬道をしてあやまらせてしまったくらいだった、そのくせ事実は馬道のいう通りの性格のところも、多分に圓生にはあったのだけれど。でも、そんなこと、師匠おもいでひとすじの小圓太には決して分ろうわけもなかった。
「ああありがたい、師匠は」
こうおもうにつけ小圓太はいっそう一生懸命になって師匠の噺を聴きはじめた。聴くばかりじゃないあらゆる呼吸をば探りいれだした、片言隻句、咳ひとつでもそっくりそのまま採りいれてつかってしまうことにやぶさかでなかった。何から何まで圓生生写しの建築が、やがて小圓太というプンと木の香の新しい材木で仕上げられた。
「いままでにお前ほどよく私の噺を聴き込んだものはない、またお前ほど私の噺の呼吸をよく取ってしまった弟子もいないよ、ありがたいとおもうね私は」
滅多にこんなこといったこともない師匠が、ある晩、しみじみこういって自分の猪口を小圓太へ差してくれた。寄席のお休みの晦日の晩で、真っ暗な庭のところどころには白藤の花が夜目にも微かに揺れていた。
「ト、とんでもない。もったいないお言葉でございます」
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