のあの小圓太、どうも近来大した腕の磨きようだぜ。どうだいひとつ、もう二つ目にしてやりねえな」
 見附のお濠っぷちへ真っ白に桜の咲くころ、わざわざ文楽は圓生の住居まで訪ねてきてこういってくれた。二つ目とは前座の次二つ目へ上がるからのいわれ。即ち前座の一級上へ栄達することだった。
「ありがとう、毎度。何しろ奴ァ昔下地があるんだから、いま二つ目にしたからって早かあなかろう。じゃお言葉通りそうしてやるかな」
 このごろの本人の心がけにも拠っていることもちろん論をまたないが、それにしてもいざ本筋の修業をさせてみると、きのうきょうこの社会へ入ってきた他の前座とはてんで[#「てんで」に傍点]芸というものの肚へ入れようが本場所|角力《すもう》と田舎角力くらいちがっていた。子供のときから遊び半分でも何年か高座を勤めていたこともまた今にして、ようやくもの[#「もの」に傍点]をいいだしてきたのだった。
 三月末――めでたく小圓太は二つ目に昇進した。同時に湯島の父親のところへかえることを許された。
 でも、そのとき生来のんき者の風来坊たる父圓太郎はフラリ旅廻りにでかけていったまま、もう二ヶ月以上も音信不通となっていた。一番相好を崩して喜んでくれるだろう父親のいなかったことが何としても小圓太にとってはさびしかったが、それにしても指折り数えれば五ヶ月――僅か五ヶ月にして二つ目になれたとおもえば、大いに大いに喜ばないわけにはゆかなかった。
 でも、二つ目になってからの修業の、今までとはまた全く柄行《がらゆき》を異にして、めっきり辛く苦しくなってきたことを何としようぞ。

 にわかに圓生は一種特別の稽古を始めだした。稽古といっても口写しの噺の稽古のほかのおよそ厳しい仮借のない稽古振りなのだった。
 まずそのひとつ――。
「エー一席申し上げます。エー手前のところはエーその何でございまして、エー」
 こんな風にその時分の小圓太には話の合間に「エー、エー」という言葉癖があったのだが、それがひどく耳障りだとてある日圓生はいくつかの碁石を片手いっぱいに掴んで座を構え、
「サ、始めてみろ噺を。エーエーをいうんじゃねえぞ」
 顎でしゃくった。
「ヘイ」
 肯いて首の座へ直ったが開口一番、
「エー申し上げます」
 すぐその「エー」をいってしまった。
 ア……しまったと首をちぢめたとたん、
「エイ」
 早くも裂帛《
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