と[#「あと」に傍点]で郵便屋さんが葉書を集めにきて、さぞや肝を潰したことでしょう。どこの世界にあなた、郵便函から鮭の切身が出るなんてべら棒があるもんですかね。つまり、そんな人一倍のそそっかし屋だから、人生の戦い、芸の修業にも、はじめにあわてて喜んでしまい、とんだ失敗《しくじり》をやらかしたようなことになってしまったのかもしれませんや。
いったい、私の家はこれでも士族のなれの果てでしてね、ですから小さい時分には野本鴻斎という漢学の先生についてずいぶんいろいろの勉強をしたもんです。ところがその勉強の度が過ぎて、身体を壊した。お医者の言うには、なにかこのさい気の晴れるように音曲でもやってみて、気保養をするがいい、そこで常磐津《ときわづ》の稽古をはじめだしたのですが、これがその自分でいうと変[#「変」に傍点]ですが、なまじ器用な声がでたりなにかするところから、ついすすめられて二十の年には今の林中《りんちゅう》の門人となって家寿太夫《やすだゆう》の名をもらうようなことになってしまった。そうして緞帳《どんちょう》芝居を三軒くらい掛け持ちをすると、ずいぶん、楽にお金がとれた。つまりこの、ちょいと
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