すこぶる侠《いなせ》にならざるを得ない。ましてや啖呵には絶妙である。江戸っ子は相手をまったくのコケに扱い、「磔野郎」と言う時も、同じ筆法で「はッつけ野郎」となまるくらいだから、つまりはこうなるのが本寸法だろう。
「てやんでェ、はッつけめ。こッとらァ、かッたァ三河町でェ。汝《うぬ》らの手ごちにあうもんけえ」
なら、聞いただけでも青春|溌剌《はつらつ》。※[#歌記号、1−3−28]江戸はよいとこ 広いとこ……と昔の小唄のこころいきが実感されてくるではないか。
草いきれ
寒さとか、暑さとか、吹雪とか、しまきとか、野分《のわけ》とか、さてはまたヒビあかぎれとかそれらの俳諧の季題なるものはすべて、この人の世の辛い苦しい切ない悲しいことどもを、辛いなりに苦しいなりに、ジーッと見つめ、見守り、味わい、果ては愉しいものにすら考えていこうとひたむきになった人間たちのいみじき企てだったのだろう。火災保険のまったくなかった江戸時代に、あまりにも頻々たる火災をば「火事は江戸の華だい」と江戸っ子たちが、反語的に嬉しがった心理と似ている。そうして、その企ては、たしかに成功したと思っている。
その証拠には、今では野分とか、吹雪とか、しまきとかいうものの中に私たち多少、風流気のある奴は、一種いうべからざる趣をさえかんじつつあるからである。そうして草いきれなんかも、まさにその一つだろう。
かくいう私が、今の今まで草いきれというもの、愉しい、風流なものだとばかり、信じていた。信じきっていたから妙である。
そしたら、先月、釈場へいって西尾魯山の「東海白浪伝」――日本左衛門を聴いた(魯山は先代馬琴門下だからお家芸のこれを演るのだろうが、退屈で、渋滞で、はなはだ結構でない。いたずらに故陵潮の巧さを思い返させるのみだった。さらに私よりひと時代前の人たちは、当然の言として故馬琴の醍醐味に思い至ったことだろう)。はじめて聴いたくだりであるが、何か天竜川の近くで、昨日渡世人の足を洗ったばかりという老侠へ止むないことから喧嘩を挑みかかる日本左衛門の意気地を叙した一席だった。
その中で、サーッと大夕立が降ってくる。見附辺りの宿駅と思うが、旅人が逃げる、馬子が逃げる、女子供が逃げ惑う。その時、ある男が、いきなりこう言う。
「いいお湿《しめ》りで、これで草いきれもなくなることでござりましょう[#「草いきれもなくなることでござりましょう」に傍点]」
……思わず私は息を呑み、ウーと低く言った。草いきれそのもの、あの青臭く焦々《ぢりぢり》したあの匂いをば、決して多くの人たちは夏の象徴としてよろこんでいるものでないということをはじめて認識したからである。そうして、この時ほど、ハッキリ「認識」という言葉が、ピッタリと私の胸にきたこともまたない。
底本:「寄席囃子 正岡容寄席随筆集」河出文庫、河出書房新社
2007(平成19)年9月20日初版発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2009年1月7日作成
青空文庫作成ファイル:
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