上げ]正岡 容
[#地から1字上げ](昭和七年五月、同じ寄席の「江戸祭の夕」の時)
つつしんで口上
広重の空、桔梗にぞ澄む早夏六月、おなじみ蝶花楼馬楽の会、丸一社中が花籠に、二つ毬《まり》の曲《くるい》に興ぜば、梅坊主連のかっぽれは、深川育ち夏姿、祭めかして懐しく、かてて馬楽トンガリ座の、若手新人熱演に、圓朝以来の芝居噺、紅白道具のどんでん返しは、演者苦心の神経怪談こころ[#「こころ」に傍点]をこめて勤めますれば、偏《ひとえ》に大入り満員の、祝花火を巨《おお》きく真っ赤に、打ち揚げさせたまえと祈るは、催主馬楽がいささかの知り合い、東都文陣の前座を勤むる。
[#地から2字上げ]正岡容に候《そうろう》こと実証
[#地から1字上げ](昭和七年六月、国民講堂「馬楽の会」の時)
二人会への口上
ハナシカは雪くれ竹のむら雀、ジャズっては泣き、じゃず[#「じゃず」に傍点]っては哭《な》きとは昔むかしその昔、九郎判官義経さまが、橋の袂《たもと》に腰打ちかけて、向こうはるかに浅草の灯を、眺めし頃のタワゴトなり。春風秋雨二千年、さてこの頃の噺家さんは、処世に長《た》けて貯金に秀いで、節倹は経済の基を論じ、自ら常識の地獄に堕ちて、五大洲にも誇るべき、花咲く荒唐なんせんす芸術、「落語」の情操をいたずらに、我と汚しつつあるの秋、巨人|鈴々舎《れいれいしゃ》馬風あり、珍人橘の百圓あり、一は豪放でたらめ[#「でたらめ」に傍点]にして、一は変才煥発なり。かかるタノモシキ珍漢ありて、八百万《やおよろず》世のオール落語は、前途ますますめでたからんと、大提灯をもつものは、これも東都文林に、呆れ果てたる能楽野郎、あいさ、正岡容に候。
[#地から1字上げ](昭和七年十月、金車亭、馬風・百圓二人会の時)
……とまれ、こうしたいかにも昔の日本の素町人みたいな、たとうれば窓辺の鮑《あわび》ッ貝に咲く、あの雪の下の花にかも似た感情も、じつは、まだ、我らの感情の、どこかに残ってはいるはずである。
[#地から1字上げ](昭和九年秋)
[#改ページ]
モリヨリヨン
モリヨリヨンは、狂馬楽が先代文楽と、それぞれの前名千枝伝枝のお神酒徳利でつるんで[#「つるんで」に傍点]歩いていた頃に創作した落語家一流の即興舞踊とつたえられる。最近では近時没した両者崇拝の可楽がよく記憶《おぼ》えていて歌いかつ踊った最後の一人だったろう。
突如、それこそほんとうに突如、座敷の中でも、寄り合いの最中でも一人がツケ板のようなものでやたらにそこらを引っ叩いて、
[#ここから2字下げ]
※[#歌記号、1−3−28]モリヨリヨーン、モリヨリヨーン……
[#ここで字下げ終わり]
とアジャラ声を張り上げ、そのあと何が何だか為体《えたい》のわからないことを歌い出すと、それに合わせて一方は目を剥き、烈しく手を振り、足を蹴り上げ、世にも奇妙奇天烈な恰好の乱舞をはじめる。もちろん、三味線も太鼓も入らない。狂馬楽はこれを師走の珍芸会の高座でくらいは演ったかもしれないが、まずまず平常は高座以外の、仲間との行住|坐臥《ざが》、もしくは冠婚葬祭の時にのみ、もっぱら力演これ[#「これ」に傍点]務めたのである。
思い起こす大正末年の歳晩、柳家金語楼、当時新進のホヤホヤで神戸某劇場の有名会へ初登場のみぎり、一夜、同行の先輩柳家三語楼、昇龍斎貞丈、尺八の加藤渓水の諸家と福原某旗亭において慶祝の小宴を催したが、興至るやじつにしばしば畳叩いて三語楼と巨躯《きょく》の貞丈は、※[#歌記号、1−3−28]モリヨリヨーン、モリヨリヨーン…… と諷い出し、そのたび金語楼、あたかも活惚《かっぽれ》坊主がスネークのひと手を学び得たるかのごとき奇々怪々の演舞を示して、渓水翁と私とを笑殺せしめた。元すててこもへらへらも郭巨《かっきょ》の釜掘《かまほ》りも大方が即興舞踊に端を発したるものとはいえ、それらのなんせんす舞踊には立派に曲もあり、振りもあり、よく一夕《いっせき》の観賞に値するのであるが、わがモリヨリヨンに至っては節もなければ、約束もない。その比喩のあまりにも突飛なるを許させられよ、もしそれ御一新に亡命せる江戸っ子の群れ、遠く南洋の島々へ落武者となって悠久の塒《ねぐら》を定め、彼地の土人が即興の舞踊を具《つぶ》さに写したらんか、すなわちこれと思わるるほど、哀しくおかしい。
それにしても神戸の旗亭でモリヨリヨン踊りを見せられてから、はや二十余年の歳月が経つ。だいたい、死ぬと思われなかった貞丈まず逝き、次いで三語楼、渓水と後を追って、モリヨリヨンの同志、いまやわずかに生き残りいるは柳家金語楼と私とのみになってしまった。しかもそののち年ならずして人気、一代を圧倒した金語楼はもはや昔日の落語家ならず身辺多彩の喜劇
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