うな赤ら顔を崩してゲラゲラ笑い出した。いつまで経ってもおかしくって笑いが止まらないようだった。やがて笑いやんだ時、彼は言った。
「ソラあんた今から三年前だッしゃろ、そうだッしゃろ。ほたら圓太郎はん上機嫌、当たり前や。ホレあの女義太夫に竹本美蝶いう別嬪《べっぴん》おまッすやろ、その美蝶とそも馴れそめのホヤホヤで、あのやかまし屋が毎晩大機嫌の時やったンやもの」
「フームそれにしても……」
 やっぱり肯《うべな》えないように私は言った。
「圓太郎は圓太郎だとしても、あの下座へ噛みつくように怒鳴った染丸の態度は悪いと思うな」
 そう言う松鶴はもう一度さもおかしくてたまらないというように笑い出しながら、
「ソラ仕様ない、あの下座やったら、なんぼ染丸はんに勝手なこと言われたかて。なんでてあの下座、染丸はんのおかみさんだンがな……」
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   草いきれ、かッたぁ



    かッたぁ

 この頃、山陽の「双蝶々」のスリルに魅かれて、小柳へ連日、かよいつめた。
 スケに出る貞水の「頼朝小僧」も古風でおもしろく、伯治の「仙石評定」も渋谷の寺の手入れなど愉しかったが、あのしわがれ声の陵潮は「元和三勇士」の一節でとんだお景物を恵んでくれた。それは、出てくる江戸っ子の肴屋が、
「あッしァ、かッたぁ[#「かッたぁ」に傍点]三河町でござんす」
 と言ったことである。
 かッたぁ――すなわち神田である。死んだ十二世雪中庵――故増田龍雨翁は、徳川の川は清かれと江戸っ子は濁音を嫌ったもので、「神田」は「かんた」「駒形」は「こまかた」「袢纏着」は「はんてんき」と当然言った。「かんだ」や「こまがた」や「はんてんぎ」では妙に近代的理性的で、つまり乙ゥ啖呵《たんか》が切れないからでさぁと生前、事あるごとに教えてくれた。
 なるほど、そうであろうと思っていたが、陵潮はさらにそいつを鉄火に実践して、「かッたぁ」「かッたぁ」と発音したのは、さすがと思う。
「アキハバラ」「タカダノババ」の今日では、今夏、あるところへ書いた私の小説など、校正注意と欄外へ朱書までしておいたのに、「駒形堂」を「こまんどう」とはルビしてくれず、むざんや、標準語で「コマカタドウ」でアリマシタ。
 それはそれとし、「神田」をすべて「かッたぁ」で発音してしまうと「かッたぁの明神」「かッたぁ祭り」「かッたッ子」とくるから、物事万端
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