らしさを誇るような馬のいななき、轍《わだち》の響きを耳に聴いてだった。颯爽《さっそう》と時代の新風が乗合馬車そのものには吹き流れていた。そうしてそれは圓太郎のような男の胸にまでピチピチしたものを投げつけずにおかなかった。瞼が熱く痺れてくるような言いしれぬ興奮だった。感激だった。
 そうだ。来月看板をあげたら、俺は高座で、本物の喇叭を吹いてこの乗合馬車の馭者の物真似をしてやろう。そうしてこんなにも開化した日本の美しい姿を、せめて俺も自分相応の芸のなかで祝福しよう。途端に圓太郎は右手で鞭を打ち鳴らすかっこうをし、左手を喇叭のつもりで口へ当てた。一見、馭者になっていた。やがてラッパの圓太郎と謳われて一世を風靡し、昭和の今日まで圓太郎馬車の名を遺すにいたったも宜《むべ》なるかな。
 プープープーと喇叭の音を口でやりながら圓太郎は、間もなく群がる人波を押し分けかき分け、
「お婆さんお婆さん、危いよ」
 と代地のほうへ駆け出していた。
 あとからお八重が美しく上気しながら、夜霧のなかを同じように駆け出していた。



底本:「圓太郎馬車 正岡容寄席小説集」河出文庫、河出書房新社
   2007(平成19)年8月20日初版発行
底本の親本:「圓太郎馬車」三杏書院
   1941(昭和16)年発8月刊
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2008年12月12日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全18ページ中18ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
正岡 容 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング