を脇へやって圓朝は、その下にあった奉書包みの書付をポーンと圓太郎の前へ放った、恐る恐るそれを開いてみて、アッ。さすがの圓太郎もドキンとした。思わず顔色を変えずにはいられなかった。
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 今回当監獄所囚人ヘ落語無料長演シ奇特千万ニ付キ、模範囚人苦心調製の七宝製大メダル一箇贈呈ス
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[#地から4字上げ]石川島監獄所主事
          月 日[#地から3字上げ]猪熊秀範※[#丸印、57−10]
          橘家圓太郎殿
 ウヘツ。越中島の養老院だと今の今まで思い込んでいたのに。なんとこれはまた、石川島の監獄所へ余興に行ってきちまったンだ。しかもそんな囚人たちを前にして、泥棒の落語をば長講熱演してきたなんて。
「ヤ[#「ヤ」に傍点]だヤ[#「ヤ」に傍点]だ師匠。道理で養老院だてのに若えおッかねえ野郎ばかりゾロゾロいると思いましたよ。ウルル[#「ウルル」に傍点]、気味が悪い」
 大袈裟に立ち上がって身ぶるいをした途端、
「ア、いけねえ」
 ヒョイと蹴つまずいて圓太郎は、モロ[#「モロ」に傍点]に足もとの土瓶をひっくり返した。ダブダブお茶が流れ出して、みるみるうちに鉄舟居士の半折がシーンと端から濡れていった。
「濡れる濡れる、早くどかしておしまい」
 さしもの圓朝が眉をしかめた。
「ス、すみません。でもだいじょうぶですよ師匠。ホーラ、ちゃんとこの通り持ち上げていますから」
 鬼の首でも取ったように圓太郎は、シッカリ両手で、土瓶のほうを差し上げていた。
「アラ違うわよ、土瓶じゃないのよ圓太郎さん。こっちのこの半折のほうなのよ」
 いつの間に戻っていたのだろう、ソソクサ次の間から走ってきたお八重が赤い襷《たすき》もかいがいしく、圓太郎を突き退けるようにしてビショ濡れの半折へ飛びついてゆくと、濡れた両端をソーッと持ち上げ、縁側まで持っていって、日に当てた。男勝りのクッキリした、横顔が朝日を浴びて、薔薇色にかがやいていた。
「すみません、申し訳ございません」
 が、肝腎の圓太郎のほうはまだ土瓶を差し上げたまま、いつまでもいつまでもあやまっていた。


  恋ごろも

「なんとも彼ともお詫びの申し上げようがございません。これからほんとに気をつけます。御勘弁願います」
 ひと片づけすんだのち圓太郎は、平蜘蛛のようになってあやまった。
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