が今日のような出鱈目至極のものとなり果ててしまったのは。
私の記憶にして誤りなくんば癸亥大震災後、ようやくに文学というもの企業化し、全くのジャーナリズム王国築かれて操觚《そうこ》世界へ君臨するようになって以来のこととおもう。そのころ発兌《はつだ》の娯楽雑誌関係者は故石橋思案、森暁紅諸家のごとく、常盤木《ときわぎ》倶楽部落語研究会の青竹めぐらした柵の中から生れきた通人粋子に非ずして、大半はこうした世界の教養を持たない地方出身の人々だったから、落語家講談師の一人一人のデリケイトな話風に立ち至ってまで知るよしがない。また相手として呼びかくる読者の大半、これまた地方大衆人に過ぎなかったから、いかに如実に演者の口吻を写しだしているか。そうした速記者の腐心など採り上げて買ってくれるよしもなかった。むしろ彼らはそうした風趣をば無用の夾雑物《きょうざつぶつ》と非し、ひたすら、物語本位、筋本位の安価低俗の構成を要求したのだろう。明治開化以来の愛読に価する講談落語の本格速記の伝統は、このときにして崩壊しつくしたりというも全く過言でない。
現に私は記憶している、昭和八、九年のころ現三笑亭可楽君(八代目)は某々紙上において自らの落語速記を、他の誰のであったか、全く別箇の落語と半分ずつ接ぎ合わせたまやかし物を自演として発表され、大腐りに腐っていたことを。芸術の冒涜もまた、ここに至れば極まれりというべしである。落語家社会においてかりに前半に「天災」を語り、後半たちまち「廿四孝」に映ることありとせば「掴み込み」と蔑称し、そは田舎廻りのドサ真打の仕草と嘲り嗤われてやまざるところのもの。往年の可楽君の悒鬱《ゆううつ》、今に至るも察してあまりあるものである。あるいは全くその演者の演ぜざる物語にいい加減の名前を附し、発表されることも少なくなかった。例えば現文楽(八代目)が「和洋語」を演じ、現小さん(四代目)が「五人廻し」を演じている速記のごときである。
ここ数年来、講談社の諸雑誌など、頓《とみ》に講談落語の速記を尊重しだし、親しく自宅へ速記者を派遣せしめ、また演者自らの執筆のかかるものを選びて掲載するなどの傾向を生じてきたのは喜びに堪えない。到底、往年の無用の用ある風雅味などは見るべくもないが、まだしもこれは実際の口演だけに取柄ありとしよう。ジャーナリズムはようやくにして話術の面白味の何たるかを悟り、これが尊重に目醒めてきたのか――然りとすればかつて片っ端から都下の井戸井戸を埋めさせた東京市の、近時、しきりに掘り返させているのにも似ているといえよう。
閑話休題――そういう風に速記というもの昔日のものといえども、高座人の話術の活殺はついに知らしむべくもなかったけれども、さすがに往昔の講談落語の速記の中からは演者の描写力や構成力や会話技巧のよしあしなど充分以上に汲み取ることができる。そうして一般話術家は元より、私たち作家にとってもそこに学ぶに足るもの多々ありといい切れる。
ことに圓朝の速記においては、そのころ若林※[#「王+甘」、第4水準2−80−65]蔵《わかばやしかんぞう》子を始めとして当時の速記界の第一流人が挺身、これに当っている。聞説《きくならく》、若林※[#「王+甘」、第4水準2−80−65]蔵子某席における圓朝が人情噺を私《ひそ》かに速記し、のち[#「のち」に傍点]これを本人に示したとき、声の写真とはこれかと瞠目せしめたのが、実に本邦講談落語速記の嚆矢《こうし》ではあるとされている。即ちそれほどの速記術草創時代だったから、圓朝の一声一咳は全篇ことごとく情熱かけて馬鹿正直にまで写しだされているのである。で、それらの速記をたよりとして圓朝つくるところの諸作品を、以下あなた方とともに検討していこう。
「怪談牡丹燈籠」
「牡丹燈籠」は拙作『圓朝』の中でも記しておいたとおり、最も人口に膾炙《かいしゃ》された代表作である上に、「累ヶ淵」「皿山畸談」とともに今日のこっているものの最古の作品にかかっている。で、最初にこれを採り上げることとした。もっともこの速記本の上梓《じょうし》されたは明治十七年、作者四十六歳の砌《みぎり》であるから、すこんからん[#「すこんからん」に傍点]と派手に画面の大見得を切った芝居噺のころの構成とはよほど異なっていることだろう。もちろん、後年のほうが燻《いぶ》し銀のような渋さに磨きがかかり、恐らく一段も二段もよくなっているだろうにはちがいない(今日この速記を読んでいくと僅かに一ヶ所、後半の伴蔵が源次郎に啖呵を切るくだりで芝居噺をおもわせる口吻が感じられるが、その場合はむしろのこっているだけ作品としてはありがたくない場合であること、後述しよう)。
さてこの「牡丹燈籠」には春のやおぼろ(坪内逍遙博士)が絶讃の序文を寄せてい
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