様をひとつお拵えなすって」とオロオロ頼みだすのである。
 翌日、主人の命を受けて番頭はどこかへでていったが、やがてかえってきて何やら報告すると今度は主人が文七を供に、観音様へ参詣するが、吾妻橋へ掛かりました時に「ああ昨夜ここンとこで飛び込もうとしたかと思うとぞっとするね」と男にいわしめているのはさすがである[#「さすがである」に傍点]。いわずとしれた主人が吾妻橋を渡るのは本所達磨横丁の長兵衛宅へ。昨夜の礼に行こうとするのである。その直前に観音様へ参詣したは、愛するその奉公人の危難を免かれた御礼詣りだろう。どこ迄もこの旦那、よい人であることが、こうした動作ひとつで如実に分ってくるところ、繰り返すようだが凡手でない(どうして旦那に長兵衛の住所が分ったか、それはもう少しあとまで読者よ聞かないでいて貰いたい)。
 長兵衛宅を訪ねあてると、家内《なか》では昨夜から終夜《よっぴて》の大喧嘩である。無理もない、町ところもしらず名もしらぬ男に娘を売った大枚百両恵んでしまったというのだからお神さんの信用しないのも。「ふん、見兼ねて助ける風かえ、足を掬って放り込むほうだろう」とお神さん、さながらいま志ん生の得意とする裏長屋の神さんらしい調子で応酬してくる、てっきり[#「てっきり」に傍点]またどこかで丁半を争ってしまったものとひたすら泣いて口惜しがってはいるのである。そこへ「長兵衛さんとおっしゃる棟梁さんのお宅はこちらで」と旦那が訪れると「ええ何に棟梁でも何んでもねえんで」とうちの中で長兵衛自身術もなく棟梁を否定し、そのあと「へへへ、縮屋さんかえ」という呼吸――いかにもこうありそう[#「こうありそう」に傍点]ではないか。
 旦那きたり、昨夜の男きたり、晴天白日の身となった長兵衛の喜び、いや察するにあまりがある。このとき旦那の「私どもも随分|大火災《おおやけど》でもございますと、五十両百両と布施を出した事もありますが、一軒一分か二朱にしきゃァ当りませんで、それは名聞《みょうもん》」あなたのようなお方は「実に尊い神様のようなお方だ」と激賞したのち、金子《きんす》を返すと、そこは長兵衛江戸っ子の、いったんやったお金はいらないという。旦那のほうでもそれは困るから取ってくれという、あくまで長兵衛はいらないという、そのうち「だがね、どうも……だからよ、貰って置くから宜《い》いじゃねえか……」というと
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