り、これが尊重に目醒めてきたのか――然りとすればかつて片っ端から都下の井戸井戸を埋めさせた東京市の、近時、しきりに掘り返させているのにも似ているといえよう。
閑話休題――そういう風に速記というもの昔日のものといえども、高座人の話術の活殺はついに知らしむべくもなかったけれども、さすがに往昔の講談落語の速記の中からは演者の描写力や構成力や会話技巧のよしあしなど充分以上に汲み取ることができる。そうして一般話術家は元より、私たち作家にとってもそこに学ぶに足るもの多々ありといい切れる。
ことに圓朝の速記においては、そのころ若林※[#「王+甘」、第4水準2−80−65]蔵《わかばやしかんぞう》子を始めとして当時の速記界の第一流人が挺身、これに当っている。聞説《きくならく》、若林※[#「王+甘」、第4水準2−80−65]蔵子某席における圓朝が人情噺を私《ひそ》かに速記し、のち[#「のち」に傍点]これを本人に示したとき、声の写真とはこれかと瞠目せしめたのが、実に本邦講談落語速記の嚆矢《こうし》ではあるとされている。即ちそれほどの速記術草創時代だったから、圓朝の一声一咳は全篇ことごとく情熱かけて馬鹿正直にまで写しだされているのである。で、それらの速記をたよりとして圓朝つくるところの諸作品を、以下あなた方とともに検討していこう。
「怪談牡丹燈籠」
「牡丹燈籠」は拙作『圓朝』の中でも記しておいたとおり、最も人口に膾炙《かいしゃ》された代表作である上に、「累ヶ淵」「皿山畸談」とともに今日のこっているものの最古の作品にかかっている。で、最初にこれを採り上げることとした。もっともこの速記本の上梓《じょうし》されたは明治十七年、作者四十六歳の砌《みぎり》であるから、すこんからん[#「すこんからん」に傍点]と派手に画面の大見得を切った芝居噺のころの構成とはよほど異なっていることだろう。もちろん、後年のほうが燻《いぶ》し銀のような渋さに磨きがかかり、恐らく一段も二段もよくなっているだろうにはちがいない(今日この速記を読んでいくと僅かに一ヶ所、後半の伴蔵が源次郎に啖呵を切るくだりで芝居噺をおもわせる口吻が感じられるが、その場合はむしろのこっているだけ作品としてはありがたくない場合であること、後述しよう)。
さてこの「牡丹燈籠」には春のやおぼろ(坪内逍遙博士)が絶讃の序文を寄せてい
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