さも感嘆するやうに云つたりした。今日からおもへば、全く嘘のやうな話である。その晩私は運座に先立つて親しく見て来たお堂の裏、噴水の辺に威勢好く軒を列ねて勝手道具の数々を売つてゐる枝太郎の「両国」宛らの有様をば目に描いて、
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灯の中や杵活き/\と年の市
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とつたない一句をものしたが、折柄おもてにはしみ/″\と仇な新内流しが高音の三味線。いまに私は、その夜の景色を忘れることができないのである。

 ただ[#「ただ」に傍点]※[#「米+參」、第3水準1−89−88]粉《しんこ》

 きのふ、十八になる娘分の春美がただ[#「ただ」に傍点]※[#「米+參」、第3水準1−89−88]粉を牛込の方でみつけたとて購つて来た。そのお※[#「米+參」、第3水準1−89−88]粉ただ[#「ただ」に傍点]※[#「米+參」、第3水準1−89−88]粉とは云ふものゝ決して昔のやうな正面へドデンと白い山脈のやうなものが据えられ、その前へ赤、青、緑、黄、黒、時として金、銀までの小さな色※[#「米+參」、第3水準1−89−88]粉の舎人《とねり》のごとくとあしらはれてゐるものではなく、一めんの黙々と白い、巨いなる固まりの、さうしてまことに一も二もなくたゞそれつきりのものだつた。
 しきりに妹はそれで土瓶や兎などこしらへてゐたが、土台が白一といろなのだからどうにも佗びしく、およそ法返しのつかないものだつた。
 かね/″\私は一ど自著の表紙にはありし日の下町生活の象徴として、ただ[#「ただ」に傍点]※[#「米+參」、第3水準1−89−88]粉を木村荘八画伯に描いていたゞき度いとおもつてゐるものであるが、この分では表紙にして見ても若い読者たちからは此は一体何だ色見本かとでも云ふことになりさうである。
 いつそはかなく情なかつた。
 ……今し方、横丁の文房具屋まで便箋を買ひにでて、そこに春待つ羽根のたぐひの山ほど積まれてあるのをみいだしてはじめて私は、ホツと安心したやうなものを感じた。
 白と朱のや、黒と牡丹と緑のや、さては五|色《しき》もいろとり/″\のや、なべての羽根はみなことごとく世にも美しく花々しく彩られてはゐたからである。

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 以上を発表してすぐ同じ浅草育ちの高篤三からは左の葉書をもらひ、さらに昭和十八年十月はしなくも仲見世で紅一
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