歩くという花街落語中の名作である。
それにしても、階下の建物と建物に添ったところには、寿司、中華料理、しるこ、焼鳥、焼そば、焼芋の紅提灯が次々と点されている、射的場、化粧品店、輪タク、自転車預り所、美容院、さては深更《よふけ》まで営業している理髪店まであるに至っては、私のようなそそっかしいものは、うっかり飛び込んだらとんだ八幡の藪不知《やぶしらず》、出口も入り口もわからなくなってしまうかもしれない。
荷風先生といえば先生は戦前の玉の井を、しばしば「迷宮《ラビラント》」の名称で呼ばれていたが、ほんとうにあの町もわかりにくいおぼえにくい一郭だった。一日、私のめぐりあった女は、三十近いつつましやかに美しい東京生まれの世帯くずしで、一応の文字もあり、寂しい野辺の花に似た感じが忘れられなくて再び訪れたが、たしかにこことおぼしい横丁を曲がったのにその家の前に出ず、とうとうそれっきりわからずじまいになってしまったことがあった。事変以前の二月はじめで、その翌日遊んだ箱根の温泉で立春を迎えたためだろう、たった一度でわからなくなってしまった人の思い出には、白梅の花に似た早春の匂いが色濃い。
玉の井の、それも女の美醜までかき添えた明細地図をこしらえたのは、同じく荷風先生によると死んだ神代種亮翁だった由であるが、わが東京パレスにもそろそろ昔の吉原細見のよう、写真入りでダンサー一覧の年鑑を売り出す必要がありはしまいか。そうしたら、私のいわゆる「目にのこる」人の行方もすぐわかることだろうに。呵々。
吉原、新宿、鳩の街に続く第四位の色里と原さんは、東京パレスのことを私たちに語られ、ただ吉原、新宿には古遊廓系統の封建さがやや残り、鳩の町(旧玉の井系)とパレス(旧亀戸系)には私娼地系統の自由さが感じられるともさらに語られたが、それはたしかにそうといえようが、玉の井や亀戸のような溝泥の匂いがなく、何より組織が大がかりなので、何となく「大籬《おおまがき》」というゆったりとしたものが感じられる。
女たちにも陰惨な、暗鬱なものがない。
玉の井や亀戸の女たちも大半は明るかったが、いくら登場人物が明朗な顔をしていても、背景が暗くいたましくては――。
ここはバンドが楽を奏で、明るい茶房や美しい寝室があり、バックがすでに明るい上に、彼女たちの生活がおよそまた自由なのだ。
どう自由か――は、次章で語ろ
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