ジルバー
  右 固くお断り申し上げます」
 と貼り紙がされている。いずれもアプレゲールのえげつないダンスゆえ、遊里のホールたるここでは、せめてエチケットとしてダンスだけは上品なものばかりを踊ってほしいのだと原さんが言った。ホールは毎晩八時限りで、それ以上やっていると、ダンス以外の遊客に支障を生じるからだともまたさらに原さんはつけ加えた。
 いくつかの曲が終わって、場内が急に明るくなり、ダンサーたちは花の散るように四散していった。終了時刻の午後八時がきたのである。
「先生の好きだとおっしゃる女性は見つかりませんか」
 童顔のA氏が、その時訊ねた。
「見つかりません」
 私は言った。
「じゃあ、もうひかされちゃったんですよ」
 童顔をほころばせてA氏は大きく笑った。S氏もともに笑った。私も笑った。
 その笑い声をよそに宮尾画伯一人、熱心にスケッチブックへ鉛筆を走らせている。

    二

 精工舎の寮をそのままつかっている東京パレスの五棟は、昼は元より、夜目にも殺風景でないとはいえないが、一歩、場内へ入るがいなや、階上階下の片側に打ち続く小奇麗な茶房。
 たいてい一軒に三人ずつのダンサーがいて、茶房正面のカーテンの彼方は、これまた、小奇麗な四畳半が三間ずつ、よくもこんなに器用に心憎くも設計されたものかな。しかも、昔の岡場所のような隣との間の境界が決してお寒いものでなく、薄桃色の照明、黒白の壁、その壁へシークに貼られた洋画女優のブロマイド、同じく壁にかけられている目の醒めるような派手なドレス――朱塗りの鳥籠に青い鸚鵡《おうむ》が一羽いても、決して不調和ではない、幻想的なルームである。
「荷風好みだなあ」
 見るなりA氏が感嘆の声を放った。
「荷風先生も浅草へお通いになる以前は、三日にあげず買い物籠を提げては昼間おみえになりましたよ」
 原さんが言った。
 私は、この部屋の異国風な華やかさに、中国の遊里へ漂流の日本人が遊びに行く「唐茶屋」という落語の景色を思い出していた。
 屋内に茶房が軒を並べ、その後に気の利いた寝間までできている点は、三代目小さんの十八番「二階ぞめき」の風景にもまた似ていると思って、一人微笑んだ。「二階ぞめき」は毎晩吉原をぞめいて歩かないと眠れないという息子が、自分の家の二階へ遊女屋のセットをこしらえてもらい、そこを投ケ節を歌いながら上機嫌でほっつき
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