のであろうと思う。ところでこのバカントラ、手品や音曲を演るのではなく、連夜高座へ花札やさいころを持って押し上がっては、いわゆるいかさまばくちの種明かしをやって見せ、いささか袁彦道《えんげんどう》をあそぶ人々への、戒めとはしたのである。この点、前掲のにせの官員小僧や蝙蝠小僧が盗犯防止のリーフレットを売ったのとやや似ている、がもちろんその前身とて同じく下関無宿といったような遊侠無頼の徒だったのにちがいない。白昼、そのへんの大道で、でんすけ賭博とやらが堂々と横行している今日この頃もまたバカントラ第二世は颯爽《さっそう》と都下の高座へ君臨して、よろしくいんちき賽の秘密など曝露してくれてもいいのではなからうか。
針金渡りやピストル強盗の一人芝居をして自由党壮士くずれ脱獄囚と自称した、矯躯の奇人日本太郎とくると、もはや大正寄席風物詩中の登場人物だから私にもたいへんハッキリとした記憶がある。何の因果か太郎、元来、蛇が好きで、いつもニョロニョロ生きたのを楽屋へ携帯、一夜、どこかの寄席でこれが客席へ這い出したので、たちまちに女子供は阿鼻叫喚。もっとも花のお江戸の真ん中の寄席で、いきなり蛇に這い出されては、女子供ならずともたいてい悲鳴をあげるだろう。
私はこの日本太郎の、げてもの味感が何ともありがたくなつかしくて、先年その回想の一文を説稿、限定版随筆集『寄席囃子』中へ収めたら、さっそく長谷川伸先生からお手紙を給わり、日本太郎の針金渡りは猿猴《えんこう》栄次のイミテーションであると教えていただいた。
が、不敏なる私は、その時、猿猴栄次について、何ら識っているところがなかった。恥ずかしながらその名前さえ初耳だった。
と、そののちたまたまひもといた雑誌「演芸世界」の明治三十六年六月下旬号に「大悪人の広告」と題する小出緑水氏の一文があって、全文ことごとく栄次のことで埋められていた。
まず冒頭には、
「六月十四日午前九時より開場するとて横浜羽衣座が各所に撒いたる引札には怖ろしい事が書いて、ありとにかく珍しいものゆえ御覧に入るる事とせり」
と記してあり、猿猴栄次また自らの懺悔劇を羽衣座で上演したことが伝えられている。すなわち横浜育ちの長谷川先生はこの頃見物されたものであらう。
またその広告の標題には、
『貧児教育慈善
開演御披露
演演劇会一座
旧大悪人
無期
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