になった」
 と講演してくだすったが、ほんとうに私に文学の、芸能の、ことに寄席の救いがなかったら、良家に生まれてその家が潰れ、思春期に天涯孤独の身となった自分は、今時分薄志の不良青年となり、与三郎同様、佐渡送りにでもなっていたろう。腕に桜の刺青は入ったが、遠山の金さんのラインで踏み留まることができたのは、再び言うが、文学の、芸能の、寄席のおかげであると言わなければならない。幸いに後継永井啓夫を得た今日、残生の大半を私は寄席文化の普及と探求とに、父子して尽くそう。
 わが「寄席青春録」続編の執筆は、今村信雄君にも忰分啓夫にも勧められていたのが、今日やっとこうしてここに完結した。前篇を書いてから、いつしか五年の歳月が閲《けみ》している。
 その五年間にも、芸の、人生の悩みは尽きせず、定命近い今年になって、しばらく諸事順調に向かいつつあるが、最早それは青春録どころか、晩春録でもないのだから、ここでは触れまい。かつて村松梢風氏はその随筆中で、自分は生涯に三度廃業しようと思ったが、他に適業がないので、ついにこれで終始したと書いておられた。私もまた、しかりである。故三升家小勝も三度廃業を決意、明治
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