日のことにすると、馬鹿馬鹿しいほど、華やかなものだった。「サンデー毎日」「週刊朝日」の裏表紙の半分を割いて、大きく私の写真が出た。その頃の両誌は、ちょうど今日の倍の大きさだったのであるから、つまり今日のあの「週刊朝日」「サンデー毎日」一頁全部に私の広告が出たということになる。でもその当時はそうたいした宣伝だとも思っていなかった。正直のところが――。
話が相前後するが、この前年から私は三遊亭圓馬の門を叩いて、ことごとくその神技に傾投、間もなく圓馬の忰《せがれ》分となり、また圓馬夫人の媒酌で世帯を持つことになった。芝の協調会館で催された第一回ナヤマシ会(たしか大正十五年早春)へ私が臨時出演したのはその直前である。私はたいそう酔っ払ってテーブルの上へ座り、「気養い帖」一席を熱演したまではよかったが、そのあとまた二度高座へ上がって落語家の物真似とまた何か演ったので満員のお客をだいぶ追い返してしまい、文字どおりナヤマシ会の実を挙げた。飛び入りの三度上がりなどはお客の帰るのが当たり前で物心ついてからでは到底頼まれてもできない芸当、「猫久」の侍ではないが、我ながら天晴れ天晴れ感服感服の至りである。
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