、この妓を落籍するには、二千円余のお金がいった。当時の私は一カ月の生活が乱酒さえしなければ楽にいけるという程度だった上に、前にもいう金づかいの下手な男だったからしょせんその才覚はできなかった。その上、そんなこんなで師父圓馬の一家ともスムーズにはいかなくなり、内憂外患だんだん私は心の苦悩を忘れるため四六時中酒を煽り、とうとう酒気が絶れると舌がもつれ、手が痺れ、しごとができなくなり、ひどいアルコール中毒患者となってしまっていたのだから余計どうにも仕様がない。今日だから何もかもぶちまけてしまうが、あの頃私はなけなしのお金でお酒を飲み続け、大酔して夜、寝る時が一番辛かった。なぜならまた明日も現金払いで医者へ注射を打ちに行くがごとく、起きる早々みすみすお金をつかって一杯飲みに行かなければならなかったからである。とにかくいくらどんなに酔っていても、あくる朝になるとことごとく酒気はなくなっており、再び舌がもつれ、あらぬ強迫観念が起こりだす。つまりアルコール中毒者の場合は、宿酔《ふつかよい》の現象がいっさいなくなるらしい。さあそうなると舌のもつれを一時的に癒すため、すぐさま一杯引っ掛けなければならない。ところが私の流浪していた昭和初頭の頃、上方には東京のような酒屋の店頭で、一杯十銭の兜酒をきめ込むあの設備はできていなかった。始めからないのか。この頃からなくなったのか、いまだに私は知らないが、これは私のようなしごとのできなくなりつつあった懐中の乏しい中毒者にはじつにじつに不自由だった。十時頃安食堂のやっと開くのを見つけては飛び込み、不必要な肴(この肴代で二杯飲みたかったのだ)を取って、やっとどうやらお酒にありつく。従って、兜酒の三倍くらいのお金が一回にいる。しかも朝酒だけですむのならいいが、体内から酒がきれると絶えず補給していなければならないのだから、なかなか毎日となるとこれが並大抵のことじゃない(その代わり食事の方は一日一回、それも夜更けにはじめて空腹となって来る頃を見計らって、握り鮨の三つか四つ摘んでおくと事足りた)。「これ小判たったひと晩いてくれろ」という古川柳があるが、ほんとうに当時の私は、腹中のお酒よせめて明日のお昼頃までとどまっていておくれ、そうしたら私は明日の朝の一回のアルコール分だけ助かるのだからと衷心から祈りたい思いでいっぱいだった。なにしろそんな精神と肉体の状態だ
前へ 次へ
全39ページ中22ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
正岡 容 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング