のことをまるで公けの事件ででもあるかのやうに、おぼえてゐる。しかしその時場所で見てゐたものではなからう。が、何だか親しく場所で見てゐたやうに今は記憶が再整理されてゐるものだらう。寺門静軒のいはゆる「一斉喝采之声江海翻覆、各抛[#レ]物為[#二]纏頭[#一]、自家衣着浄々投尽、甚矣或至[#三]於褫[#二]傍人|短掛《ハオリ》[#一]。」
ぼくは力士にだれも個人的ひいきを持つてゐない。ゐないにしても――近年数場所かけて、玉錦には何となく気のすまぬ思ひがした経験がある。といふのは、場所の度びに、ぼくの見物に行く日といふときまつて結びに玉錦が誰かしらに負けるのである。ぼくもさうは角力へ行かず玉錦がまた却々土の付かない人だけに、この縁起でもない遇合は、玉といふ人に対してぼくの角力見物を何だか弱気にさせるものがあつた。殊にその前の夏場所、武蔵に名を成させた時は、友達と見てゐながら、前以てこの縁起のことを話したあとだけに気がさした。あの人が負ける度びに、総立ちの三階から降る座蒲団の乱舞を頭上に見送りながら、土俵には口を尖らせた利かぬ気の表情の横綱が砂の中に這う有様を、味気なく見たものだつた。気の毒な、見てゐられない気がするのだつた。――今その人亡し矣。
角力はどのみち強くなければ仕方があるまい。強ければそれが一切であらう。双葉山の二十八といふ若さに驚くそばから、前田山の二十六歳、名寄岩の二十六歳……といふ弱冠が続いて、海光山や大潮の四十歳は、実際角力道にいふ「年寄」の年の感じは、よそほかと別世界である。四十を八十のやうにも感じ、五十を人の一生としたのも、此の世界ならば未だに通用するだらう。二十八や六では、絵の世界なんかでは、余程出来がよからうとも高々タチがいゝらしい、位に片付けられる駈け出しに過ぎないものを、からだの何所から何所までピチピチと張り切つた闘志満々の名寄が、右手をぐつと半円に大きく張つて、陣太刀を高々と捧げながら、双葉の土俵入りに随ふ昂然たる天下をとつたやうな顔を見ると、平素この人が、一体何を考へてゐるだらう、と訝らせるものがある。恐らくは何も考へずに、たゞ相手を倒さうとばかり寝ても醒めてもそのことばかり腐心するのであらう。
前田山の絶えざる闘志に引吊つたやうな白い眼を見ると、誤まつてぼくなんかゞ力士だつたならば、この眼に土俵で面と向つたゞけで、もはや気死して負
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