た姿が、第二図(東京名所案内所載)で、われわれは初めからずつとこれに見参してゐる。
[#「柳橋の景(第一図)」のキャプション付きの図(fig47737_02.png)入る]
[#「柳橋の景(第二図)」のキャプション付きの図(fig47737_03.png)入る]
 僕はこの金物の柳橋の欄干に直接明治の味[#「明治の味」に傍点]を感じるのだが、これは工芸部門の専門的な穿鑿から見ても、われわれ一個の独断なりカンジなりには堕ちないやうである。
 柳橋が鉄橋になつてもなお両国橋は当分(明治三十七年まで)木橋のまゝでゐたが、明治二十七年版の「東京名所案内」(原田真一編)に、「両国橋は新柳町より本所元町に架す。長さ九十六間、構造すこぶる壮大なり。明治初年の築造に係る。橋下は即ち隅田川の下流浅草川なり。橋の西詰広濶の地を広小路といふ。夏月避暑に宜しきを以つて橋上に立つもの橋下に遊船を泛べるものすこぶる多く、殊に川開きと称して川中に烟火を揚るときなどの群衆雑沓は実に驚くばかりなり。」
 夏は全く涼しいものであつた。川だから涼しいのは当り前といへばそれつきりのものゝ、川筋といつても、浅草橋や左衛門橋など
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