ひとの生活のよそ行き[#「よそ行き」に傍点]以外の事柄は湮滅し易いに拘らず、例へば福地桜痴居士は、始終膝の上で両手に金時計を弄んでその蓋を開けたり閉めたり、パチパチいはせてゐるのが癖だつたといふ、――かういふことがら[#「ことがら」に傍点]は、存外生き生きとしたもので、桜痴居士は一頃全盛を極めて、池の端の御前といはれたといふ表向きのことよりも、始終その膝の上で金時計がパチパチしたといふ話の方が、余つ程面白く、その「ひと」を偲ばせる。
 立見場の金網の目が何よりも立見場を偲ばせる……、といふ意味でいふのではないが、湮滅して了ふ「人」のことより「生活」の片々に実は面白いことは沢山ある、「面白さ」はその方がよそゆき[#「よそゆき」に傍点]や人の正面向き写真よりも上ではないか、といふことは、思ふわけである。



底本:「東京の風俗」冨山房百科文庫、冨山房
   1978(昭和53)年3月29日第1刷発行
   1989(平成元)年8月12日第2刷発行
底本の親本:「東京の風俗」毎日新聞社
   1949(昭和24)年2月20日発行
※図版は、底本の親本からとりました。
入力:門田裕志

前へ 次へ
全5ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
木村 荘八 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング