も記憶され、伝へられても、さればどんなものがどの位の見当に張つてあつたか、といふことは、逸失され易い。湮滅しやすいのである。僕思ふに恐らくこの杢太郎の写生画の他にはほとんど[#「この杢太郎の写生画の他にはほとんど」に傍点]このドキュマンは、無いだらう。写真もこれは写されてゐまいと思ふ。
 これは例へば劇場の新富座にしても、あの渋く、いきで、清楚だつた建物。小田原の本家「ういらう」と似た味だつた。白と黒の建物も、その正面図《フアサード》を、偲ばうならば、今でも相当その写真なり写生画は残つてゐるから、ざつとわかるけれども、側面に至つて手がかりとなるものも少なく、背面は、全然、どうなつてゐたか、今からではわからない。
 一体ひと[#「ひと」に傍点]にしてもさうである。エライ人の肖像なども、正面向きの像には先づ事欠かないと思ふが、側面、背面は、残りにくい。故人を写したパテー・ベビーでもあれば格別のこと――その服装もよそ行きのなり[#「なり」に傍点]は、これを偲ぶ手がかりが多からうとも、常住坐臥、始終うちでどんななり[#「なり」に傍点]をしてゐたか、といふやうな点は、記憶も文献も、湮滅しやすい。
 ひとの生活のよそ行き[#「よそ行き」に傍点]以外の事柄は湮滅し易いに拘らず、例へば福地桜痴居士は、始終膝の上で両手に金時計を弄んでその蓋を開けたり閉めたり、パチパチいはせてゐるのが癖だつたといふ、――かういふことがら[#「ことがら」に傍点]は、存外生き生きとしたもので、桜痴居士は一頃全盛を極めて、池の端の御前といはれたといふ表向きのことよりも、始終その膝の上で金時計がパチパチしたといふ話の方が、余つ程面白く、その「ひと」を偲ばせる。
 立見場の金網の目が何よりも立見場を偲ばせる……、といふ意味でいふのではないが、湮滅して了ふ「人」のことより「生活」の片々に実は面白いことは沢山ある、「面白さ」はその方がよそゆき[#「よそゆき」に傍点]や人の正面向き写真よりも上ではないか、といふことは、思ふわけである。



底本:「東京の風俗」冨山房百科文庫、冨山房
   1978(昭和53)年3月29日第1刷発行
   1989(平成元)年8月12日第2刷発行
底本の親本:「東京の風俗」毎日新聞社
   1949(昭和24)年2月20日発行
※図版は、底本の親本からとりました。
入力:門田裕志

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