国の夏の風俗の場合は、初めから何も彼も露出して了ふ。結局出る程のものはすつかり出して了ふから、つまり夏を直接「夏」らしく予め平面描写にして了つた、出したくもあとには何も出すものがない。即ち出るものがないから先づ不作法にはならない。多分実感(卑俗)には大して陥ちいらずにすむだらう。――但しそれ故に美か否かといふことは、それは全く別の第二問になる、――これを、日本の場合には、予め裳束の条件は極めて危いものである。
稍もすると際立つて実感に陥ちたがる。が、然し実は陥ちないものである。陥ちずに、一転、そこを不思議な美におきかへる余地がある――
といふ、この(かね合いの)ところに、日本の夏のしどけなさうに見える姿のうちに、却つてそれ故に進んだ、つまり特別に(美しくなれる)要素が充分にあると思ふ。
源之助のことから浴衣のことに移して来たが――
こゝに、「曲線美」といふ言葉がある。之は特に夏、外国人の身なりに就いて思ふ場合、誠にそこにあるものはこの「曲線美」だと思ふ。――或ひは言葉を変へて、形似(写実)的な味感と云つてもいゝ。
それに反して日本の美しさは、――強ち「夏」乃至「服装のこと」
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