ふ。――これ等は中身の丸味を lineal に蔽ふといふよりは寧ろ丸味を丸味ながらに偲ばうといふ程のもので、その点西洋の服装のやり方に近く、日本、少くとも徳川期までの日本のやり方とは、異なるものである。
 それ故耳かくしに結つたお嬢さんなどがモスリンのなよなよした単衣を着て、フエルトの草履を履いた姿などは、たしかに当世風で、可愛らしく、大変甘美なものである。それも一つにはよからう。又真岡の中形浴衣地をまとうた長袖の女学生なんぞも大正味感は充分だ。簡単で、明瞭である。
 しかし浴衣とはいへるかいへないか、私には全く違ふ新規のものとしか思へぬ。
 ――それに就ての考察は、私にはさし当り余り甘すぎて、それより辛いものをつい味ひ馴れてゐるために、舌がいふことをきかず、ついに味覚する気になれないわけなのだが――今時では浴衣は、偶々俳優に見るか――それもほんの一人か二人の昔ながらの人に――乃至は、ぐつと下がつて牛屋の女中さんとか、下町のおかみさん(多分侘しいバラックでなしにはゐないことだらう)、たまに子守とか、女あんまとか、そんな風の人達が何といふことなしに着てゐる。少し感じはあるが、とはいへ何ぼ
前へ 次へ
全9ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
木村 荘八 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング