縮緬」といふのがある。これは若い人達の夏の正装を読込んだところであらう。それは兎に角として、すそさばきの荒い、一寸肩へ米しぼりの手拭か何か引かけた女姿を想像して見たらよいだらう。――これが何れはそもそもの浴衣がけのいさみの姿である。さういふ人が文化文政から天保、弘化、嘉永、安政……われわれの前時代には、就中江戸の下町一帯に、沢山ゐたはずである。
当時両国は夏の夜の花火の別世界としてある。かういふ人が三々五々立ち並んで、手には団扇、川風が吹き、水には木の橋がかゝつて提灯の舟が浮び、花火があがる。――世の中の現実にはあつたと思へない、三拍子も四拍子も揃つた、また一境の美感。日本の徳川といふ時代は不思議の世界であつた。
浴衣はその空気の中で出来た、特殊な一産物である。
二
今時ではもうゆかたを昔ながらに着て見せてくれる人は、芝居の源之助などの他には見られないであらう。これは実際さう思ふところで、寧ろ、私はかういはうと思ふ。浴衣がけの風俗は恐らく文化文政時代の江戸町方の者の進んだ発見である。昔のものである[#「昔のものである」に傍点]。それが惰性なり習はしなりで段々と
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