浴衣小感
木村荘八
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)粋《いき》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)美しいがゆゑに[#「美しいがゆゑに」に傍点]
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一
浴衣がけは便利だといふ、無論便利だ。久しく外国へ行つてゐると夏は故郷の浴衣がけが恋しくなつてかなはないといふが、さもあらうと思ふ。便利で涼しい点では外国のどの夏衣裳にも勝るものだらう。
然したゞ便利で涼しいが故に起つたものかと云ふと、それは一つにはさうに相違ない。夏不便で涼しくないものは行はれるわけがない。しかしより以上に、それが衣裳としての一つの風俗を保つて今に行はれるわけは、美しいがゆゑに[#「美しいがゆゑに」に傍点]、それで猶発達したものと思ふ
――一体この浴衣又は浴衣がけといふ字は、いつ頃使ひ始めたものだらうか。この特殊な夏衣裳の沿革を一通り調べて見たらかなり面白からうといつも思つてゐながら、つい取り果さないのは、怠慢ながら、どのみち文化文政の頃にその風情が江戸の町家の粋人――といふか、または特殊なる識者――彼等の味覚に依つて鑑賞され、そこで、一つの「ゆかたがけ」といふ美術的にいつて立派な、まあ他の字でいへばあだ[#「あだ」に傍点]な、いき[#「いき」に傍点]な、それ迄の日本にはそこ迄はまだ無かつた極く微妙な味はひの風俗が、世の中に生じたものと思ふ。
その意味で、ゆかたがけは便利の涼しいものである、然しながら只それ故にのみ発祥した姿ではないと考へる。寧ろそれよりもこの姿から編み出せる「美しさ」――その味はひ――が時勢の人を刺戟して、そこで立派に生育した一つの風俗と考へるわけである。
他ならぬ不思議な時代、文化文政の産を思ふ上から、――
こゝで一寸考へて見るのは、いつも衣裳に添ふ髪の結ひぶりのことで、われわれは今日簡単に水髪とか洗髪、横櫛などといふことをいふ。――丁度ゆかたがけと簡単にいふやうなものだ、――しかしこれは明らかになほ天明寛政の頃にはなく、天明寛政といへば漸く女髪結の職がぼつぼつ一般になるかならないかの頃といはれて、「女の風俗は天地開けて今ほど美麗なることなく、あたまのさし物は弁慶を欺き、丈長、水引は地蔵祭りの盛りものよりすさまじ」云々。明らかに水髪の清楚は文化文政に待たないと起らない。いはゆるその辰巳風俗のわけで、「地蔵祭りの盛りもの」を通り越さないと、それをさつぱりと洗ひ落して束ねる味覚へは届かない。尤もそれと同時に一方にはまた金銀珊瑚の高島田もあつたわけだが、――横櫛といふのは、当時三代目菊五郎の女房お豊といふ人の頭に禿があつた。それを隠さうと、横櫛にしたのを、町方の者が一斉に粋として真似、引いては大阪へまでも行響いた風俗――と巷間伝へられるものだ。
水髪もまた便利である、浴衣の夏など殊によからうと思ふ、(今は猶更便利実用のものに断髪といふのがある。何れは坊主にでもなるか。呵々)横櫛も隠す[#「隠す」に傍点]には便利この上ない趣好だらう。――然しこれについては贅するまでもなく、決して、便利一つで起つたことではない。その「美しさ」、いはゆる、彼等の発見した、粋《いき》ゆゑに発祥したことで、これについてまた思ひ起すのは伊達の素足といふことだ。さぞ寒さはさむかつたらうが……といふのが不便であらうと寒からうとも、その頃の彼等は、そこに風情が忍ぶとなれば素足を法として断じて寒中も足袋は履かなかつたといふのである。
洗い髪に横櫛をさして、浴衣がけに装ひ、当時の句に「明石からほのぼのとすく緋縮緬」といふのがある。これは若い人達の夏の正装を読込んだところであらう。それは兎に角として、すそさばきの荒い、一寸肩へ米しぼりの手拭か何か引かけた女姿を想像して見たらよいだらう。――これが何れはそもそもの浴衣がけのいさみの姿である。さういふ人が文化文政から天保、弘化、嘉永、安政……われわれの前時代には、就中江戸の下町一帯に、沢山ゐたはずである。
当時両国は夏の夜の花火の別世界としてある。かういふ人が三々五々立ち並んで、手には団扇、川風が吹き、水には木の橋がかゝつて提灯の舟が浮び、花火があがる。――世の中の現実にはあつたと思へない、三拍子も四拍子も揃つた、また一境の美感。日本の徳川といふ時代は不思議の世界であつた。
浴衣はその空気の中で出来た、特殊な一産物である。
二
今時ではもうゆかたを昔ながらに着て見せてくれる人は、芝居の源之助などの他には見られないであらう。これは実際さう思ふところで、寧ろ、私はかういはうと思ふ。浴衣がけの風俗は恐らく文化文政時代の江戸町方の者の進んだ発見である。昔のものである[#「昔のものである」に傍点]。それが惰性なり習はしなりで段々と
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