これは素人眼の云い方ですから、間違っていれば取り消しとしますが、染五郎の碇知盛の隈は、脳天の青黛からかけて、眉毛の黒が薄過ぎたように思います。殊に今の舞台の照明度は相当明るいから、随分思い切った色目の隈取りでないと、飛ぶ[#「飛ぶ」に傍点]ものではないでしょうか。
 しかしその強い色度の[#「強い色度の」に傍点]隈取りを顔にしっくりと乗せようが為には、そこで地顔を舞台顔へと判然区別しなければならぬ、あきらかに一つの芸――「芸」の発端がここから初まると思われます。地顔のイイオトコ位の材料を後生大切にして舞台へ出発した日には、聞違いが起るだろう。
 昔の団十郎と云ったような人の顔立ちを見ると、その眼と云い、口と云い、断えざる陶冶訓練の為に、地顔は殆ど「奇形」と云わんばかり、世の常ならぬ相貌となっています。これは半ば天性もあるのでしょうが、「奇形」変貌の大半は、後天的操作に依るところと思います。
 古い俳優――古名優――では、私は親しくは源之助と羽左衛門とに、何回か互の間三尺とは隔てずに対座した経験を持っていますが、源之助の切れの長い眼の美しさなどは妙な云い方ながらそのまま「絵」のよう
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