て、白装束や薙刀も生きた、舞台一杯のものでした。
「顔」も無論平素のその人の生活から陶冶されてその骨相の出て来るものと思います。これも柏筵の言葉に「役者は人間の見せものなれば成るたけ身綺麗にするがよし」夏は絽の頭巾を放さないのが良い、と云ったとあります。「絽の頭巾」までのことは当代、無いとしても、一頃それがはやったような、成るたけ役者も平素の起居動作を書生流にするなどということは、どうかと思われます。
しかも今では、平素の起居動作を書生流にすることが、却って近代俳優の定めになっているものではないでしょうか。――「人」の一般としては役者世界に余り役者が傾くより書生流が当世かもしれないにしても、六代目さえ、その「顔」を五代目のイキから全然変えて「当世紳士」のつまり地顔仕立てに訓練陶冶したものは、鉄砲撃ちをしたり、当時一家の彦三郎は、時計に日常生活を打込んでその向きから表彰されたことなどありました。果してそれが俳優生活としてのどこ迄の得分だったでしょう。
そういう「近代」が、――生活の生地が――名人六代目菊五郎をさえ齲《むしば》んでいないとは云えないと思います。俳優は「近代」ならざるが良
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