来ると信じられる。少なくもぼくなどは当時触目する新聞雑誌のさしゑや、口絵に「清方ゑがく」を見て、例外なくその印刷紙面に、愛情をつなぎつゞけたものだつた。
 これをいひ替へれば「清方ゑがく」鏑木さんがわれ等の一つの「時代」の渝らざる愛情をしつかりつなぎ止めて誤まらなかつた程に、仕事の精進を一刻もゆるがせになさらなかつた証跡を示す、絵画執筆担当の責任を果された思ひ出となるものである。
 ――そしてそこに、つい口幅つたいいひ草で気になるけれども、いへば他ならぬ「鏑木清方」の時と共なる向上進歩が手堅く裏付いて、「清方ゑがく」回想は強固のものとなる。
 鏑木さん一個の「回想」ではなく、我々時代共通の一つの資産となるのである。
 元々はそれがぼくといふ相手なりぼくに先づ印刷紙面の愛情を通じて浮かび上つた「鏑木清方」の蜃気楼は、やがて時と共に鮮明確実となり、通夜物語の丁山の五寸に充たない木版立姿が樋口一葉の全身像にまで盛り上る、「清方」の歴史。その後はこれが口を利くのであるが、「鏑木さん御自身」がまた、その「蜃気楼」のいきさつについて、明徹無類に如何によく回想し、その認識をちやんと胸にはつきり折りたゝんで居られることだらう。
 私事に渉るかも知れないけれども実はぼくは最近――ぼくの主観に関する限り――鏑木さんに入門してゐるのである。しかしお忙しいところを妨げてはいけないのでさうさうは伺はないけれど、――それのみならず、先生に教はつたところを先づ一課目にしてもぼくがその後モノにするのに、却々の修練なり時間がかゝつて、さう子供のやうにはあとからあとからと新課目を御教へ願ふ気易さに行くわけがないから、実はぼくは時々申出でて、女の髪の毛の生えぎはについて(それも特に余人ならぬ鏑木さんのかゝれる女人の)御教示を乞ひ、それを一課目先づ御教へ受けたのであつた。その後愚品ながらぼくのかくこと有るべき女人の日本画ものゝひたひつき、襟足などに、芸が無いとすれば、ぼくは先生に対して申訳ないことゝならうのみ。先生は特に長時間ぼくを画室に参入許して、剰さへ自ら筆を執つて、ぼくの乞ふところを絹の上にかいて見せて下さつた。
 その御教示を願ふ前に、ぼくが一応手紙で、ぶしつけな御願ひを先生に申し入れるといふと、快く承知して下さつた御返事の文中に――自分はさしゑの出で、別段鬼一法眼に六韜三略をさづかつたといふ訳のものではないから、自分免許の画法である。それでよければ――といふ一節があつた。
 先生はこれをすらすらと何のくつたくもない心のまゝに記された感懐だらう。
 が、この感懐を率直に投げ与へられたぼくとしては、鬼一法眼が六韜三略をさづけるからといつても却つて動じない。それ程、鏑木さんの平素こゝろの素直な、透き徹つたありやうに対し、今更ながら親愛を新たにすると同時に、敬服したのである。
 鏑木さんはその意識的な好みからいつても、万事に気取りやもつたい振る感じを喜ばない方であるが、といつていくら意識を以つて撓めたからといつても、この「気取り」や「もつたい振る」感じなどゝいふ、いひかへれば、大なり小なりひとの己れに許すところある息吹きは、生得虚心の仁に非ざる限り、好んでいぶさうにも、附焼刃にいぶし切れるものではない。――然るに鏑木さんは、全然それのいぶしつくされてゐる方である。
 どうかすると御自分を全く何とも思つて居られない方かもしれないのである。たゞ美術にいそしむ御自分をいとほしむ以外には。
 平素座談の折ふしにも、鏑木さんは目を細くされて回想しながら、昔よく屏風などをかきながら、そのわたりの板の上で、その日の急がれものゝ新聞さしゑを描いたものだ、と懐しみながら、私はさしゑの出のせゐでせう、どうも上野の出品ものといつたやうな仕事よりは、さしゑ風のものがかきたくて仕方ない、と笑つて話される。
 ぼくがこれを特にこゝに云ふのは、鏑木さん御自身は知るや知らずや、世間には、常に絵画世界の一隅に「さしゑ」対「ホン絵」といふものゝ対立・相剋があつて、「さしゑ」は堕しめられつゝ「ホン絵」が良いものとなつてゐる。本来絵画である限りその本質に於てこの二つは相分るべきものではなく、殊に「ホン絵」などといふをかしな名の画式はそれが特別に存立すべきものでないに拘らず、事実上では、その存立ありと見なければならない状態である。
 といふのが、一方に「さしゑ」といふ、所詮堕しめられるがまゝの画式がまた堕しめられる相貌のまゝに、現行し存立するから――この対照が自然と双方の兄弟墻に鬩ぐ風の現象を招致するものとなるのである。
 石井鶴三の大菩薩峠が斯界の近い歴史の上に一線を劃したのも、一つには勿論鶴三のその作に対する構へなり作効果が正しかつたに依ることはいふ迄もない。しかしそれでは鶴三の構へなり効果が副業とし
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