ふ迄もなく鏑木さんがさしゑ風のものをかきたいといはれ、自分はさしゑ出身であるといはれる場合も、そこに微塵も自ら卑うする悪趣味など介在せず、本当のことをそのまゝいつて居られるので――たゞこゝに、一つだけ鏑木さんにもし「間違ひ」がありとすれば、鏑木さんは「插画家」として大時代の、殆んどその今は唯一の面影の方であるのに、御自身(余りそれが身に付き過ぎて居られるために)その大時代といふについて御存知無く、さしてこれに関心なさらない。さういふ鏑木さんの一つの「間違ひ」は発見出来ると思ふ。が、これが今ではタイヘンなことだといふことである。
 例へば名は同じ随筆といつても、大多数の近頃の随筆ものと幸田露伴さんの随筆とでは、その重さや、構へや、格に、大した開きがある。これと同じことで、さしゑも大時代の「清方ゑがく」は、今日いふ「ホン絵」よりも「展覧会制作」よりもずつと純真無垢の、一途に美術的なる、絵らしい絵といつて、然るべきものである。
 鏑木さんはこれを指して平々淡々と「さしゑ」といひ、自分はその出だといつて居られるのである。御自分の実感はそのほかに「さしゑ」を御存知ないから。
[#ここから1字下げ]
(註)、鏑木さんの心理を推し計ると、曩きに帝展へ出された鰯なども「さしゑ」風な一作として居られるやうだし、にごり江の画帳はいふ迄もなく、七絃会あたりへかゝれる横物の秀品も、それ等を一列に「さしゑ風な仕事」と考へ懐しまれて居られるやうである。
[#ここで字下げ終わり]

 この画人が、自分などは自分免許の画法で、鬼一法眼から六韜三略をさづかつたわけではない、といはれるのは――推すらく、鏑木さんの思慕する美術品の高さ、その高度を余程よく忖度計量するに非ざれば、我々は不用意に鏑木さんの感懐を言葉だけで額面通りに受取ることは出来ない。再びいふ、鏑木さんは生得もつたい振らず、気取らない、といつて余計なへり下りなどの悪趣味は持たない、この辺は最も洗練された江戸人の遺風(さういふものも殆んど少くなつた)を持たれる方である。ぼくはざつくばらんにいはう。有りやうは、鏑木さんはなかなか御自身の仕事に対して御自身気に入つて居られないのである。されば些のテングやうのものは先生の心に兆す片影だに無く、鏑木さんは「大家」であるに拘らず御自分でさつぱり大家などゝそんなことは思つて居られない。ただ御自分の不満足と
前へ 次へ
全13ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
木村 荘八 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング