らず東京は大した人出で、そのためにヒル過ぎになると、さしもぬかつてゐた道も、すつかり平らに、コチコチに踏み固められたといふことが、文献に残つてゐる。――これも意味のとりやうでは、何か旧憲法の性格と、成行きとを示唆した、天の成す業だつたといへないことはない。
「片手にコーモリ傘をさした陛下」の、われわれとしてはこれを「天皇」に初めて見る、お親しい姿も、明治天皇は、元来さうだつたといふ事を、ぼくは小泉策太郎さんから聞いた。その小泉さんはまた、西園寺さんから聞いたと話されたのだが、明治初年のころ、宮中にをられた時は、三条、岩倉などの人々と共に、明治天皇も、夏などは腕まくりか何かで、おまへ、おれで、談笑されたといふことである。――しかしそこへ謁見の者の申入れなどがあると、急いで居ずまひを正された、と、西園寺さんが話されたといふ。「これはしかし文章にはかけないよ」といつて、小泉さんは苦笑してゐた。(小泉さんが西園寺さんについて書きものをしてゐたころのこと。)
 今にして思へば、小泉さんにどうしてそれが書けなかつたか、といふことが、また、われわれを訝かしがらせる。「陛下」も雨が降れば手に傘を持つて
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