でも良い盗賊の取り高などではない。真面目な昔の計数に関する事々が、いづれも今に至つて比較見当のぐらつく具合になつたとすれば、これはゆゝしい一つの不祥といはなければならない。
 昔の「百円記者」ともいへば綱ッ引の人力や馬車に乗つて、銀座の新聞街を、肩で風を切つて行つた豪勢なものだが、久保田米僊ともあらうものが、たつた百円の月給で、わざわざ京都から東京の国民新聞へ出て来る(明治廿三年)などは、どうしてだらう。などといふ具合に、昔の史実が曲つて見えるやうになると、お互ひ今日のわれわれのカンネンは、余程、まゆ毛につばをつけて、自戒につとめなければならぬ。米僊が国民の「百円記者」になつて東京へ招かれた、これと同じ年に、浅草公園には、十二階が総工費五万五千円を以つて出来上つた。これも正史である[#「これも正史である」に傍点]。――十二階が五万五千円? あれがそつくりで?と、いくら「自戒」してもつい吹き出したくなるのは、困つた世の中になつたものである。
 いまの月刊雑誌は相当お寒いヘラヘラなものが、定価廿円、卅円をうたつて、たれも怪しまないのに、われわれ同人となつて「芸術」といふ雑誌を定価一円で出し
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