治(号探景)の東京名所絵の中で、優作の一つと考へられる、駿河町の、今の三越の角のところを写した夜景など、――さしづめ我々には、いま防空警報が出たばかりといつた景色に見える。
月光をこの絵から取り去つたならば、たちまち真のヤミ夜である。
かういふ東京の漆黒は、幸か不幸か、われわれ年輩のものは、初めてこんどの事件で体験した。
高山樗牛が「月夜の美感について」論文を書いたのは、明治卅二年であつたが、少くも明治もそのころほひは、遊士樗牛をして、東京にゐてさへ、夜空を仰いで「月夜の美感」について考へさせた程、身辺は暗かつたものらしい。
これが大正、昭和になると、東京では殆んど「月」は、あるひは月夜は――その[#「その」に傍点]美感を関知出来ないまで、殆んど至るところ、明々とした、夜の都となつた。
五、明暗
東京の町は昔暗かつたやうである。明治も深くなつて、末年に近づいても、その暗さは、ひところの大正、昭和の明るさになれつくしたわれわれからは、想像もつかない程のものがあつたらしい。
電燈会社が成立つて、一般に電燈を点するやうになつた年をこの明るさ――白熱燈――の紀元とす
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