くまでの東海道中を、十八節に仕切つた、相当長いものであるが、今となつては、一九の膝栗毛や、川柳の末摘花を完全に解説出来れば、堂々たる文学ハカセだといはれるやうに、このうたも完全に解説が附けられゝば、取つて以つて広重の保永堂版版画にも裏附けとなる、文献が出来上るわけだらう。
ましてこの道中唄には、先づ江戸から京へと「上り」があると同時に、向うからの「下り」もある。「上り」はやゝ一般にも伝唱されるが「下り」はほとんどいん滅してゐた。それを掘り出して、すでに廿年かれこれの昔とはなつたが、ある人から私にうつしを寄託されたものがある。この機会にそれを「虫ぼし」のわけで上下そろへて復刻しておくのは、古物保存の意味だけでなく、「その行文を味ふ」面白さからいつても、私の手記の文章などより数等上の、よきよみものとなるだらう。節はラヂオなどにこの頃でも時々放送されるから、かへつて歌の本文よりなじみ[#「なじみ」に傍点]が多いだらう。
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一、お江戸日本橋七ツ立、初上り、あゝこりやこりや。行列揃へて、あれわいさのさ、こちや、高輪、夜明けの、提灯消す。こちやえ、こちやえ(以下はやし略)。
二、恋の品川女郎衆に、袖ひかれ、のりかけお馬の鈴ヶ森。こちや大森細工の松だけを。
三、六郷あたりで川崎の、まんねんや、鶴と亀との米まんぢゆう。こちや神奈川いそいで保土ヶ谷へ。
四、痴話で口説は信濃坂、戸塚まへ、藤沢寺の門前で、こちやとどめし車を綱でひく。
五、馬入わたりて平塚の、女郎衆は、大磯小磯の客を引く。こちや小田原相談熱くなる。
六、登る箱根の御関所で、ちよいと捲くり、若衆のものとは受取れぬ。こちや新造ぢやないかとちよいと三島。
七、酒も沼津に原つゞみ、吉原の、富士の山川白酒を、こちや姐さん出しかけ蒲原へ。
八、愚痴を由井だす薩多坂、馬鹿らしや。絡んだ口説きも興津川。こちや欺まして寝かして恋の坂。
九、江尻つかれて気は府中、はま鞠子、どらをうつのかどうらんこ、こちや岡部で笑はゞ笑はんせ。
十、藤枝娘のしをらしや、投げ島田、大井川いと抱きしめて、こちやいやでもおうでも金谷せぬ。
十一、小夜の中山夜泣石、日坂の、名物わらびの餅を焼く、こちやいそいで通れや掛川へ。
十二、袋井通りで見附けられ、浜松の、木陰で舞坂まくり上げ、こちや渡舟《わたし》に乗るのは新井宿。
十
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