道行くわれわれの眼がたまらない。昔の汽車の沿線には、至るところ、大きな酒だるの絵だとか、気味の悪いフクスケのやうなものが、青田涼しき中に大々と広告板でがん張つて、車窓からの眼をおほはせたものだつた。
五月の広告選賞の結果は、早速新橋駅ホームなどに公表されて、その広告の現品もそれぞれ駅に等級を示して張出されたから、東京の人の、眼にされた方もあつたらう。
街頭美術に公知の前で等級がついて示されたといふことに、年代記風な意味があつた。試みに思ひ給へ。昔の東京――を問はず、日本全国、中国、満洲にも――はんらんした。例へば「仁丹」の、ひげをはやした礼服の人物の胸像は、街頭美術として選賞したならば、何等ぐらゐに入つただらうか。あるひはゼムのひし形の顔だとか、大学眼薬の眼鏡をかけた顔とか、花王石けんのしやくれた月形の横顔、さかのぼつては煙草のオールドの勧進帳を読む弁慶の像など……
かう数へて来ると、かういふ点では一長ある外国人の、ヴィクターの小首をかしげた白犬であるとか、ジレットの涼しさうに顔をそる広告絵などといふものは? 衆目の見るところ、選に入るやうである。カルピスの「初恋の味」にかけた名代の標語を案出した人は、会社から賞与の万年年金を受けたとか聞いたことがあつたが、さて果して、その標語に添へた絵のクロンボの図案は、よく万年年金に値したかどうか。
一体「広告」は広ク告グルであるから、大なり小なり響きの強いわけで、昔の広目屋であるとかセイセイヤカンの街頭音楽を持出すまでもなく、人の眼ばかりでなく、記憶に、相当浸み透る作用をするものである。殊に少年少女の頭には浸み易い。標語の「今日はお芝居、明日は三越」なども忘れ難い。――といつて、これが浸み透つたからといつて、ひとが遊惰に走る手もあるまいが――ぼくは少年の頃に、日本橋通りを馬車で通ると、街のある家の軒先きに横書きの文字があつて「ぬけまにまんほらたふいとぬけま」と読めたのを、いつもその前を通るたびに楽しんだことがあつた。これはかへりに、同じ処を逆に馬車で通ると、こんどはこの言葉のまともの意味に読めるのだつた――「まけぬといふたらほんまにまけぬ」、わん・ぷらいす・しよつぷとか云つた家の、軒の横がきの広告――また、銀座の洋服店大民の飾窓に、大礼服の、始終それがぐるぐる廻つてゐる、等身大の人形があつたことや、鉄道馬車が石町から通
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