た時には――これは元々売らないでも良い雑誌のつもりで、絵の印刷などを豪華版にやつた――、新聞の雑誌評で特に定価のことを問題にされたものだ(大正七年)。これはつい先ごろ谷崎さんの卍《まんじ》の値段(一〇〇〇円)が問題になつたことゝ思ひ合はせられ、モノの値上りの比率が、このさきもこの割で時の経過と正比例してひろがつて行けば、遠からず「この本はいくら?」「ヘエ、一万円です」といふことになることも考へられる。笑話であつてくれゝばよい。


     八、陛下

 昔の人は「……高価なるろちりめんを黒の五ツ紋に染め、無双仕立にして、云々……夏羽織としてこれほどぜい沢なるものは他に匹敵を見ず。八尺四丈物にて一枚を仕立て得るとして、この価格は白地にて十三、四円。染め代は三円より五円なりといへば、仕立て揚げまでは、ざつと廿円近くの費用を要するなれば、着物に有り余れるぜい沢の人ならでは、かゝる高価の羽織を着るものあらざるべし。」(明治廿八年版、日用百科辞典)
 かういふ、今日の感じでは全然想像も付かない「ぜい沢」をやつた人もあつたやうである。
 ――折柄物価の※[#丸公、33−4]再認識の問題が街の実地の俎上に乗つて来て、銀座の露店では率先して(昭和廿二年五月三日、新憲法施行の日から)全商品の一割引きを実行するものもあるといふ。
 良い意味で世の中はこの「五月三日」を境に、立変らなければならないだらう。
 この日、われわれの陛下は、「象徴」となられて、国政の現役線を退かれ給ふ。象徴となられる陛下に対しては、新しい、より親しい日本国民の敬愛があるはずである。陛下は五月三日の式典に当つて、雨外套を召され、左手に御自らコーモリ傘をさゝれ、右手に中折帽をとつてこれを打振られながら、三年前まではこの国で絶対に想像さへ出来なかつた「陛下」――生き生きとして新鮮な、われらの陛下のカタチで、壇上から人々に向つてあいさつなすつたが、ひどくこの朝は寒い、気温が平常より十度も低かつたといはれる日で、式の始めから終りまで冷雨小止みなく、広場に集まつた者は陛下の出御までは、何れも傘をさしたまゝ、外套の襟も立てゝ諸員の式辞あいさつを聞いた。尾崎さんはこの雨は天の戒めだと考へたといふが、恐らくその通りであらう。五十八年前の旧憲法発布の日、明治廿二年二月十一日は、夜来の雪で、道がひどくぬかつてゐたといふ。それにも拘
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