」と杢太郎氏にいはれて、「想像」の見当もつきかねた。絵はこれ以上、暗くしてしまつては、カンジが出しにくいに拘らず、なんでも、パンの会場では、誤つてテーブルの下にフォークを落したのに、すぐテーブルの下をのぞいてみても、真暗で――あの光るものが――何処へ飛んだか、見当がつかなかつた程だといふ。


     六、ガス燈

 近ごろでは特に停電用といふのでアセチレンガスのあかり(名づけてカーバイト・ランプ)を町で売つてゐるが、これはその独得な臭気もろとも昔は往来で縁日商人の使ふものときまつてゐた。これを室内照明に使ふのは、アセチレンガスが昇格したのでなければ、使ふ人間が下落したのである。多分後者だらう。
 近代的な強い光の照明道具の中では、ガスの燈火が一番最初に出来たものだが、東京ガス会社の成立が明治十八年とある。会社が出来て初めて一般にガスを引けることになつた。
 これより前に弧光燈といふのがあつて、これは白熱燈にならない前の電燈、いはゆるアーク燈である。その二千燭光のものを銀座の大倉組の前に点火したことは(明治十五年)――わざわざこれを見に見物人が出て……もちろん、見物人は遠近挙つて毎夜銀座に雲集し、これは当時の三枚続きにも残るやうに、町の事件の一つだつた。
 ガス燈の光りぞ今は頼みなる雲かくれにし夜半の月かな――。
 ――その見物人の一人は、わざわざこの「二千燭光」の下で地面に針を落して見て、それをちやんと拾ふことが出来た、と、なかなかしやれたルポルタージュを示す始末だつた。
 ――それにつけて思ひ起すのは、わりに近年のこと、東海道を超特急の「ツバメ」が初めて一般の客を乗せて走つた時に、新聞の「鉄箒」といつたやうな投書欄に、この感謝礼讃の試乗記が出て、これに「私は食堂車の卓の上でわざとマージャンをつもつて見たが、パイは倒れなかつた」とあつたのを読んだことがあつた。いつも事にふれて人は同じやうなことをするものである――
「弧光燈」の名が巧まずして明治初年代の、なんぞといふと画《かく》の多い「字」が幅を利かせた世態を思はせて、面白いやうに、別に「現華燈」といふ文字も残つてゐる。しかしこれはガス燈一般のことをいつたものらしいとの石井研堂氏の考証であるが、一体この「ガス燈」といふこのガス[#「ガス」に傍点]が、せんさくして見れば問題で、文献で拾へば明治も五、六年の若いころか
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