近はつい今しがた書きたてのものから、最も古くは――例へば「浴衣」(大正十三年)のものまでが採録されてゐますが、著者としての立場なり、考へには別段大変化はありません。終始一貫して私は東京を愛します。「愛します」とその相手のモノを自分から離していはうよりも、終始一貫、このさなか[#「さなか」に傍点]にゐますので、東京を描いて、私には呼吸《いき》のつけるところはない。
如何に破壊されようとも、よしんば悪化されようとも、そこに地息《ちいき》のやうなものがあつて、その中の虫のやうに、私は東京を呼吸して生きてゐると思ひます。こんどの戦争で――(東京もメチヤメチヤになつた一つですけれど)――跡形もなくやられた土地々々の人が、しかも、硝煙がはれて見ると、依然としてその跡形もなくなつた中にいつか返つてゐて、「何が良いのだらう?」と人をいぶからせた話は、至るところで聞きましたが、私も私の土地についてさうだと思ひます。これは理屈ではありません。空気[#「空気」に傍点]だと答へたい。
「東京」といつたところで真の東京が果してどんなものか、それが何処まであるかないか……わかつたものでありませんし、東京はわるい
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