畔に桜樹を植ゑ、新吉原の一時仮植せるものに異り、春花爛漫の節には香雲深く鎖して一刻千金の夢を護す。この花折るべからずの標札は平凡なれども此処に在りては面白く覚え、海岸の防波堤は石垣とコンクリートを以て築きたるものにして明治三十一年五月成、監督東京府技手恩田岳造と固くしるしあり。天然の風浪はこれを以て容易に防ぎ得るべし、色海滔々の情波は遂に防ぐべからず。」
「青楼綺閣縦横に連り、遊客の登るに任す。その中最も大なるは八幡楼(大八幡といふ)にて構前に庭あり。蟠松に松竹等を配して風趣を添へたるが如き新吉原に見ざる所なり。その他新八幡楼、甲子楼、本金楼等は廓中屈指のものなり。夜着の袖より安房上総を望み得る奇景に至つては、実に東京市中に在りては本遊廓の特色なり。」
 かういふ工合に書かれたところで、この文章は明治四十二年発行の「新撰東京名所」(第六十四号東陽堂版)から引用したものだ。余程今からは年代の隔たる文献だから、娼家の名などは到底このまゝではゐまい。しかし同じ本の「洲崎弁天町、町名の起源並に沿革」に誌されるところは今もそのまゝ通用する筈だ。それに依ると、
「洲崎弁天町は五万坪ありてもとは海中
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