あるのは、何とも寂しいこと、沈んでゐること、滅してゐることである。こゝの娼家の何れかの窓から廓外一円の暗い水でも見たならば、エロティシズム以外に、一種のニヒリズムが必ず起るだらう。これは好ましい状態でない。
[#「娼家」のキャプション付きの図(fig47709_04.png)入る]
 遠音の新内流しなどといふものは、今でも聞きどころによると、昔のイキ[#「イキ」に傍点]の美感を回想し、微弱ながらも、それを揺りさますことのあるものだ。しかし洲崎の蘭燈影暗い二階座敷かなんかで、新内流しを聞けば、却つてこれは里心を付け、逆効果になるだらうと思ふ。まして支那そばのラッパなどを聞けば魂ごと寒くなりさうである。
 はつきりいへば、洲崎は東京の中の「一つのヰナカだ」と考へて、終始辻つまが合ふやうに思はれた。――このぼくの独断が間違はなければ、ことわざに、京にゐなかありといふ通り、かういふ特殊区域が今時都心をさう離れない場所に、比較的のんびりと遺存するのは面白いモードである。



底本:「東京の風俗」冨山房百科文庫、冨山房
   1978(昭和53)年3月29日第1刷発行
   1989(平成元)年8月12日第2刷発行
底本の親本:「東京の風俗」毎日新聞社
   1949(昭和24)年2月20日発行
※図版は、底本の親本からとりました。
入力:門田裕志
校正:伊藤時也
2009年1月6日作成
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