ら今思えばモザイク風に描いた、顔や胸などの継々になっている絵を見ました。私はその勧工場で木版の羽衣双六と云うのを買って来ましたが、正月のことで、今云ったモザイクの油絵が珍らしくてたまりませんでした。
当時家兄は、神田の京華中学へ通っていましたが、兄の中学の友人に伊藤? 何とか云う人がいた。度々その人から肉筆の水彩絵ハガキが来て、殊に兄キ達は、仲間で『風見』と云う廻覧雑誌をやっていました。――その表紙と口絵とに或る号へ「伊藤さん」が、表紙には女の上を向いた大きな顔と、口絵に煉瓦建てのある風景を描いていました。忘れもせぬ「ワットマン」と云うごりごりした紙へ描いてあって、その絵の為に『風見』はあけにくい位でしたが、私はそれを見た時、頭がカァーッとする程亢奮しました。何度その絵をと見こう見したか知れないし「伊藤さん」が或る日来た時には、どんなにその一寸猫背のような、カラを付けないで服の襟を外している、その風貌も何も彼も、尊敬したか知れません。兄キの室へ行ってはその『風見』を幾度も見たものです。例の来者不拒のかけじのある室へ。
と、矢張りその時分のこと、兄キが此度は何だか大きな紙へハムレットの芝居を見たと云うので、そのハムレットの場面を絵に描きました。――一体家兄は初めは私よりずっと絵がうまかったので度々絵はかいていた。私は丸で頭が上がらなかった。然し此度のハムレット程まとまった大作は、したことがありませんでした。
私はそれを痛く感心して、殊に画面に沢山円柱があって、靴下からももまで足の形の通りぴったりと付いた服を着ている、その足の人が沢山並んでいます。之を実に気に入りました。それ迄、外国の絵では見たこともあるが、日本人で描いたのは、先ず見たことがない。それを兄キがずんずん描いているので、自分は小学校だ。中学校へ行くと、伊藤さんや兄キのようにあんな風に絵が描けるようになるのか、いいなあと思いました。兄キはその絵を然し中止したようだったが。――定めしこんな事をかいたら、兄キはいやがるだろう。僕には只忘れられぬことである。
私は毎号出る度毎に『少年世界』と、たしか『少年』もその頃発刊されたと思う、それと、小波さんの『世界お伽噺』と、両国に片桐と云う気持のいいおかみさんの本屋があって、そこからツケで買いました。『太陽』の表紙が如何にも大人々々していて尊敬心を払ったおぼえがあ
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